20120425 瓶花

  • 2012.05.17 Thursday
  • 17:40
 

花展明けのお稽古。
お家元の花展、東京支部の90周年花展と続き、先生もお忙しかったので「やっと終わったわ」的なホッとされたような感じだったし、私たちも花展でドドーンとした大作ばかり見ていたので、こういう楚々とした普通の瓶花をいけられて終止なごやかな雰囲気のお稽古でした。

花材:やまぶき、トルコ桔梗、天門冬
花器:家元小品花器 皹寧窯礎瓶(ひびねいよういしずえへい)

私は個人的にちいさな作品が好きなので、瓶花でも比較的作品が小ぶりになる家元小品花器が好き。


20120411 桜の一木挿し 写景盛花様式本位 遠景描写

  • 2012.05.17 Thursday
  • 14:13

桜の木の下に都忘れが咲いている自然の姿を描写した盛花です。
一昨年、同じお稽古をしていたはずなのですが、すっかり忘れています。
挿し方は、その一昨年のお稽古の記事にきちんと書いてありました...orz
進歩してないなぁ。

挿しているうちに水がほんのり黄色っぽく染まってきます。
桜は草木染にも使われる素材ですものね。
 

『不実な美女か貞淑な醜女か』 米原万理

  • 2012.04.26 Thursday
  • 18:32
  『不実な美女か貞淑な醜女か』 米原万理




ロシア語の同時通訳をなさっていた米原万理さんの著書です。
分かりやすくて面白かった! この方は頭が良くてその上に努力家でユーモアがあって、すごいな。
そして鋭い洞察力と優しさ。
通訳には日本語以外の他言語に堪能である以上に、他者の言うことを正しく理解する力とそれを表現する力が不可欠とおっしゃる米原さん。正確に一語一句を訳すのではなく(というか、それは不可能だってこの本を読むとよくわかる)要点を分かりやすく論理的に伝えるのが仕事であると。「字句から一度身を退いて自由になり、より広い視野でもって本来メッセージが伝えんとするところをとらえる(p170)」。当たり前のようなことだけれど、自国語だって他人の話を理解して第三者に伝えるのはけっこうたいへんだもの。
そして、「話し手がどんなに博識で洞察力に富み、高邁なことを述べても、通訳者の表現力を超えたレベルで、それが聞き手に伝わることはあり得ないのである(p119)」。これも、日本語でも同じことね。ああ、耳が痛い。レビューなんて私は書いてはいけないんだわ、と思う一文(書いているけれど)。で、この「インプットしてアウトプットする」訓練がヨーロッパでは国語(とはいわずロシアならロシア語、なんだけれど)の授業で徹底的に行なわれるそうで、米原さんは日本の国語教育の問題点にも触れていて、その内容も興味深いもの。
そのことともリンクするのだけれど、彼女が強調することに「まずは日本語の駆使能力」というのがある。外国語を身につけても日本語の下手な人は、その下手さ加減よりもさらに下手にしか外国語は身につかない。外国語の力もまた母国語の能力に左右されるという。

  さまざまなエピソードを混じえ通訳という仕事の本質と可能性を探りつつ、言語の多様性や深さ、言語と民族のアイデンティティという問題にも踏み込んでゆく。
どんなに小さくてその名をあまり知られていない国の人々も、自国の言葉で話す権利を持っている。二つの大戦以降、そういう考え方が少しずつ浸透して来て、同時に通訳という仕事の需要も増大したという。たとえばアメリカと政治の場でもビジネスの場でも英語で渡り合おうとすれば、母国語としない人々に不利になる。通訳を立てた方が対等ということね。いま楽天やユニクロので行われていることを知ったら、米原さんは何とおっしゃるだろう?
「言葉は、民族性と文化の担い手なのである。その民族が、その民族であるところの、個性的基盤=アイデンティティの拠り所なのである。だからこそそれぞれの国民が等しく自分の母語で自由に発言をする機会を与えることが大切になってくるのだ。それを支えて可能にするのが通訳という仕事、通訳という職業の存在価値でもある(p293〜294)」
そして興味深かったのは、日本の代表者が海外に行って英語でスピーチをするのはやめて欲しいという趣旨の内容。そのような方々には自国の言葉で話す権利と「義務」があると。

そして彼女がどのような点において通訳という仕事に喜びと誇りを抱いていたかは、最後の章のこの文からわかる。
「地理的にも離れ、異なる歴史を歩んできた国の人々が、異なる文化と発想法を背景にしたそれぞれの言語で表現しながら、それでも通じ合っているそのこと自体が奇跡に思えてならないのだ。そして異なるからこそ共通点を見出した時の喜びは大きい。他の民族に対して自国の言語を押しつけたり、あるいは逆に強国に迎合して自国語をないがしろにしている人々には、この感動は永遠に訪れまい。(p308)」

通訳という仕事とは関係なくとも、言葉というものに興味のある人、外国語を勉強する人におすすめしたい本です。




で、ここからはレビューとは少し離れるんですけど、この本の中に、シベリアに住むヤクートという民族の言葉のことが書かれています。
文化や自然環境によって、その言語がもつ語彙が、あるカテゴリーで極端に多かったり少なかったりするということはわりと知られていることですが、ヤクートの言語の中には罵りや蔑みの言葉が見当たらないのだそうです。
この心優しき民族のことをもう少し知りたくて調べていたら、こんな記事をみつけました。
自分の備忘録代わりにここにメモさせてください。


「数年前ヤクーツクからの使者があり、母からの預かりものですと『サハ民族の話』という本をいただいた。著者はユカギール族出身のサハ共和国教育大臣ヴィノ クーロヴァさん。面影を追いながら読む内に「サハ民族の死滅は避けられないのか?」という章に驚く。17世紀にコッサックがやって来て以来ロシア帝国によ る収奪と迫害の時代が始まる。ヤサックと呼ばれる税を課され、疫病を作られ、サハ人の人口は半減した。ソ連初期の十数年だけは多少の改善は見られたもの の、すぐに第二次大戦、次いで冷戦下の核戦争準備。ヤクーチアにたくさんの核実験場が作られた。北海海岸には小型核燃料施設が並ぶ。ダイアモンド、金鉱や その他の鉱山では「平和目的の」小型核爆弾による採掘が日常化する。1991年以降をとっても、急激な死亡率の上昇、出生率の低下、罹病疾病の増加、河川 の放射能汚染、トナカイゴケの核汚染、重金属汚染、永久凍土の融解、森林火災の日常化。人間の生存そのもの対するこの全面的な危機をどう回避するか。民族 の文化が死滅させられることをジェノサイドという。しかし人間そのものが死滅しては、文化も言語も生き続けられるはずはない。ヴィノクーロヴァさんは、上 の問に対する答は今のところ見つからないと歯がみする。ただ、サハ共和国の政治的・経済的自立と知的でエコロジカルな政策の確立が一日も早く可能ならばと 願うのみであると。」【地球ことば村・世界言語博物館】 NPO(特定非営利活動)法人

  

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