2018 2月3日〜4日 新潟松之山温泉〜十日町

  • 2018.02.05 Monday
  • 17:48

 

十日町の街と文化と雪景色を観よう、という企画。出かける当日に東京でも雪が降って、とくに都下の我が家の方は大雪で、雪見の方は一瞬テンションが下がりかけましたが、行ってみて思うのは、雪見っていうのは雪だけを見るのではなくて、豪雪地帯ならではの文化や生活様式を味わうということであり、その土地の人たちが普段見ている同じ光景を見る、ということなんですね。だから、東京での大雪などとはまったくの別物。

ほくほく線                      

 

松之山温泉に一泊します。越後湯沢からほくほく線で、まつだい駅まで行きました。ほくほく線は、ほとんどトンネルで、駅だけが外という感じで、途中の美佐島駅という駅なんて、珍しいトンネル内駅。地上の駅舎は、線路がないので、きっと建物だけなのね?不思議。山岳地帯なので鉄道を通すのは難しいらしく、出来たのは20年前だそうで、まだ新しいんですね。だから松之山は、ほくほく線が開通するまでは陸の孤島のようなところで、現在でも独特の文化が残っているのだそうです。

お宿は凌雲閣という古式ゆかしき木造3階建ての老舗旅館。純和風で、情緒たっぷり。踊り場に植物が大胆に飾ってあるぴかぴかにお手入れされた階段を歩くときに、昔のお祖母ちゃんのうちみたいにみしみしっと良い音がします。お部屋には、おこたとみかん。ポットに熱いお湯が用意してあったので、前日に三条の弥彦神社で買った兎のかたちの和三盆をおやつにして、お茶用の湯呑で新潟の雪室珈琲を(ドリップパックだけど)淹れて飲みました。

凌雲閣の階段。とくにこの手摺がよい。          
仲居さんの子どもが廊下をちょろちょろしてるのもいい感じ。『夢千代日記』の秋吉久美子を思い出したりして(古)。

お食事は広間でいただきました。どのお料理も松之山周辺の新鮮なお材料を使って丁寧に時間をかけて作られているものばかりで、もちろん、どれも美味しくいただきました。お魚のお皿に乗っていた付け合せで、これ何、美味しいね!ってなったのは、あとでウワミズザクラの青い実「杏仁子」の塩漬けとわかりました。

さて、お風呂。ホウ酸含有量が日本一だそうで、最初ちょっと肌がピリピリっとして、口に入るとしょっぱくて、美肌の湯というよりも、硬派な薬泉といった感じです。お天気にも恵まれ、真東を向いたお部屋から見える景色は、夜は雪山から昇るお月様、朝は青い空と白い雪の明るくまぶしいコントラストでした。

朝ごはんも美味しくて、ガラス張りの温室のように明るく広い暖かいお部屋で雪を見ながらいただけます。大満足でしたけれど、悔やまれるのは、出がけにバタバタしちゃって売店にあった可愛い「野鳥こけし」を買えなかったこと。夢に見そう。

そして宿の周辺は歓楽要素ゼロ。そこがよい。

 

松之山温泉の朝                        
野鳥こけし。次に来たらかならず連れて帰るから待っててね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まつだいでは、移築した古民家を利用した郷土資料館へ。いろりのある土間からはじまって、70年前の農家の中をぐるっと一周。さまざまな生活用具や、2階には田中望さんのアート作品が展示してあります。作品は、広い畳の部屋の隅に置かれた織機から織り出されるように部屋中所狭しとこの地域の物語が描かれている巻絵が踊っています。同じく絵の描かれている灯りも作品になっていてきれい。兎を擬人化した巻物や灯篭の絵は、この地方の歴史や文化が描かれているのだそうです。訪れていたのはわたしたちともう一人の計三人。土地の方の案内で、いいお話が聞けるのに、もったいないな。都市部との行き来が始まったころ、方言を使っていると馴染めないので標準語を使いましょうというムーブメントがあったらしく、言葉の比較表みたいなものがあったんだけれど、そこに「いいことば」(標準語)「悪いことば」(方言)って書いてあったのは衝撃でした。大人が「きみたちのため」と、せっせと自ら大事なものを奪ってしまった。黒歴史みたいに思えるけれど、現在も同様なことが行われてはいまいかと胸に手をあてることを忘れずにいたい。窓からは、若い人たちが「農舞台」の屋根に乗って雪下ろししているのが見えました。案内してくださった町の方がおっしゃるには、町の若い人はみんな都会に出て行ってしまい、逆にああして雪下ろしをしているのは都会から来た人。給料は安いはずだけど、みんなとても楽しそうにやってますよって。近くの古民家をリノベして都会から越してきて住んでいる方も少なくないとか。都会と地方の人がそれぞれ自分の居場所を求めて彷徨っているのだな。自分がずっといた場所に馴染めないっていうのは、幸せなことではないよね。彷徨ってもいつかは根っこのあるところに戻れたらいいのに。帰り際に囲炉裏脇でうさぎの折り紙をおしえていただきました。

 

 

 

 

 

 

 

ほくほく線に戻って、十日町へゴー。まずは十日町市博物館へ。ここの目玉は、国宝にもなっている火焔型土器で、全体にも縄文時代に光を当てた展示になっています。火焔型土器は、4500年もの昔の人の手が作ったというのがほんとに感慨深くて模様ひとつひとつをこねた土で仕上げる指の所作まで想像してしまいます。道具であるのに機能だけではなく、こうしてデザインして美しさや楽しさを追求しているのが感動的。生きていくだけでたいへんだったんじゃないかって思ってたけど、意外と縄文人は生活を楽しんでいたのかもしれない。博物館的なところによくある等身大の人形を使ったジオラマで縄文時代の人々の暮らしを再現していたんだけど、からむし織の服を着た縄文人ファミリーは、おじいちゃんもおばあちゃんも、お父さんお母さんも、子どもたちも、みんなニコニコと楽しそうに笑っていたのでした。少なくとも現代よりも家族団欒の時間は豊富だったでしょう。働くのだって、家族全員です。出来る人が出来ることを。からむし織っていうのは、植物の繊維を使った織物で、縄文時代の衣服に主に使われていたということがわかっているそうです。機を織る技術もあったのか!って、驚きました。この地域、江戸後期からは、絹織物も盛んになるのですよね。買ったお土産は、からむし織のコースター。夏向きかな。

さて、午後。ゆく道々、玄関が高いところにある雪使仕様の木造のお家や、雪の合間に見えるストリートアートにテンションを上げつつ、まずは、manma & cafe でランチをいただき、越後妻有里山現代美術館(キナーレ)へ。

 

 

 

 

 

足で漕ぐ移動式おこたとか、結晶に触れるとキラリとはじける雪とか、あそべるアートでとりあえずグッとひきつけられて、それ以外にも若きクリエイターの作品をたくさん見ることができました。雪国ならではのものも、それ以外のものも。本棚のある明るくて広いカフェと、併設の売店も素敵。売店では、marimekkoのウニッコ的な柄の中にキョロちゃんが隠れてるみたいな柄の風呂敷を購入。松之山のキョロロにかけてるんですね。こういう美術館が東京にあったらきっと混んでるんだろうなって思うけど、ここは日曜日だというのに静か。もっと若い人が集う場になったらいいのに。もっともっと盛り上がって欲しい。

 

とてもお天気が良かったのに、越後湯沢に着いたら、雪。お土産屋さんが併設されている温泉珈琲水屋さんというカフェで時間調整をして新幹線で帰ってきました。ありがとうございました。

 

 

 

 

JUGEMテーマ:旅行

JUGEMテーマ:地域/ローカル

20160419-21 福島へ。旅の記録。前編。

  • 2016.04.22 Friday
  • 13:35
福島の叔父が亡くなり、両親も兄も都合により行かれないため、わたしが一人で行くことになりました。
福島のなかでも棚倉という、茨城に近い小さな城下町で、そこが母の故郷です。
母の生家はずうっと昔からそこにある古い家で、母は6人兄弟姉妹のいちばん上の長女。
母は若いころ身体が弱くて、わたしは幼いときに「棚倉のおばあちゃんち」に預けられていた時期があり、そのあいだに祖父母や叔父叔母たちに可愛がってもらいました。
広い敷地内に土蔵があり井戸があり池がありお稲荷さんがあり竹薮があり、おウチの中には掘りごたつ(むかしは電気ではなくて火鉢が入っていました)のあるその家をわたしは大人になってからも好きだったのですが、わたしの思いをよそに、家の方は時代の流れには逆らえず、お店の前に駐車場を作るのに立派な門を取り壊してしまい、ずずっとお店を後ろにずらした分、土間や居間のスペースが狭くなり、昔の面影はほとんどなくなり、祖父母が亡くなってからは、祖母の形見分けの時と今回亡くなった叔父とゴルフをするのに訪れたくらいで、足が遠のいていました。
この家がなぜ好きなのかというと、たぶんその趣だけではなくて、そこが母が語る幼いころの思い出話の舞台であり、母の幸せの記憶がいっぱい詰まっているところだからなんだろうなと思ったりもします。
わたし自身が小さいころから引越しを繰り返す根なし草なので、母の故郷に自分のそれを求めてしまうのかもしれません。

そんなこんなで叔父の葬儀に出ることになったのですが、一人旅でもあり、出発の4月19日は移動だけに充てられるため、では新幹線ではなくて、むかしのように水郡線で行ってみよう!と、ひとりローカル列車の旅にしました。



旅のお供は、皆川明さんの『ミナを着て旅に出よう』。

水戸までは、特急ひたちと花ごよみという名前のお弁当。





そして水戸から水郡線。
水戸の「水」に郡山の「郡」で水郡線です。
各駅停車でのんびり。
可愛い三両編成で、牧歌的な風景が続きます。

大人になってからは母の実家に行くのには新白河まで新幹線で新白河からはバスというのがお約束のルートだったのですが、子どものころは東北新幹線はまだ開通しておらず、この水郡線か、父の運転する車のどちらかで行っていました。
水郡線に最後に乗ったのがいつだったのか思い出そうとしましたが、思い出せませんでした。
あーなつかしい。



水郡線の車窓からの眺めといえば、畑や田んぼ、ゆったりとした川の流れと緩やかな山の稜線。
それだけ。
それだけなんですが、その「それだけ」が、どれだけ尊い光景であることか。
「住んでいる人は見慣れちゃって、この景色がどれだけありがたくて、いちど失ってしまったら二度ともどらないものなのかわからないのよね」と、わたしが帰ったあとに写真を見ながらしみじみと言う母でした。
桜は散り始めていましたが、まだちらほらとその姿を見ることができました。
写真ではわかりにくいと思いますけど、山間に白く点々と見えるのが、わたしの見たかった山桜。
公園や川っぷちに咲いている都会の桜も好きですが、今回の旅では東京では見られない桜を見るのも楽しみのひとつでした。
叔父が見せてくれたのですね。





夕方に棚倉に到着。







棚倉城は、別名亀ケ城というのですが、その名前が会津の鶴ヶ城とお対になっているみたいで、それがわたしの中では小さな誇りだったりしたのですが、あやかってつけた愛称のようなものなのかも。
戊辰戦争のときに官軍に攻められて落城してしまい、再築はされずいまはお堀しか残っていないけれど、きれいに整備されて公園になっています。
桜には一週間ほど間に合いませんでした。

ゆったりと流れるお濠。





雷で引き裂かれてしまった御神木のケヤキ。



今ではわたしの従兄弟がその主となった母の実家で亡くなった叔父と対面し、従兄弟の家族たちと語らい、静かに夜は更けてゆくのでありました。
いや、2年生と5年生のちびっ子のおかげで湿っぽくなることもなく、賑やかな夜になりました。


JUGEMテーマ:旅行

calendar

S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< May 2018 >>

booklog

my pinterest

selected entries

categories

archives

recent comment

recent trackback

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM