ベルンハルト・シュリンク『朗読者』 父のレビュー

  • 2009.08.23 Sunday
  • 22:50
私が以前レビューを書いた
ベルンハルト・シュリンク『朗読者』を父も読んでいて
レビューを書いていました。
どこに発表するというわけでもなく
父は、備忘録として読んだ本の感想文をこうして書いているんです。

「私のブログに載せてもいい?」
「あー、いいよ」と快諾してもらったので載せます。

私も父のレビューを読み返したいので。
PCに保存しっぱなしだと、読み返さないんですよね。

以下、父のレビューです。
長文です。



M君が息子さん(長男)に勧められ、読んで感動し、私に紹介してくれた小説である。手紙の中で「(この作品を読み)日本文学の何とお粗末なことよ、と慨嘆しました」と書いていた。「日本文学がお粗末」とは少し言い過ぎだと思うが、このような内容の小説は日本人に書けない、と私も思う。いずれにしても息子に本を推薦してもらえる父親は幸福だ。
帯紙に川本三郎の「近年、これほど心を動かされた海外文学はない。読み終わってしばらく涙が止まらなくなる」という文章が載っている。「オレは海外文学をたくさん読んでいる」と間接的に自慢しているのが無邪気で面白い。海外の文学作品をたくさん読んでいないと、この文章の前半は無意味となるからだ。
私は川本と違って泣かなかった。しかし、人間の心は如何に深いか、ということに思いをめぐらし、時々身震いした。それは、底が見えない、光が届かない、暗い深海のようだ。人間の心にはそのような深みがあることを、この小説は読者に納得させ、そして確信させる。
同じ帯紙に宮部みゆきの文章も載っている。「私はハンナの人生に思わず自分を合わせて読んでしまいました」。宮部の人生とハンナの人生に、重ねあわすことのできる部分がある、という意味ではない。宮部はハンナにすっかり自己移入できた、という意味である。それは作家としての宮部に、人間を洞察する力が備わっていることを示しているのであろう(私は皮肉でこの文を書いているのではない)。私にはハンナの心が深すぎて、ある限界以上には自己移入できない。それはそれで仕方がない。少しでも移入できればそれでよい。
もしかすると、シュリンクは意図的にそういう人間としてハンナを形象化したのではなかったか? そのような理解しがたい存在としてハンナを描いたのではないか? ミヒャエルは、ああでもない、こうでもない(「……だろうか? それとも……だろうか?」という形の自問が多い)と考え、考えあぐねて結論を出さないことが多いようである。この点はこの小説の面白さの一つだと思う。
刑務所内におけるハンナの自己形成は感動的。そのプロセスは刑務所長が192〜195ページで語っている。開かれた社会ではなく、刑務所という閉ざされた困難な状況の中での自己形成だから、彼女の(自分との、そして強いられた条件との)格闘はなお一層読者の心を打つ。その格闘はミヒャエルにとって驚くべき発見であるが、読者にとっても同様である。
しかしある時期から彼女は「たくさん食べ始め、めったに身体を洗わなくなり、肥満して、匂うようになりました」。訳者は「匂う」としているが、(漢字を使うのであれば)ここは「臭う」のほうが適切であろう。それはともかく、このときハンナの内面に崩壊が生じた。所長は最初の「投げ出してしまう」を訂正して、ハンナをかばうかのように、「自分の居場所を新しく定義した」と言い換えているが、それはやはり自己放棄である。(「定義した」という訳は変である。原文は知らないが、「定めた」で十分だろう。)
この悲痛な崩壊の原因は説明されていない。それは謎である。その謎を解こうと読者の心が働くとき、読者はハンナの内面を覗いて目を凝らす。ハンナの自殺についても同様である。その原因をミヒャエルは見出していないし、読者も自分で考えねばならない。ここでも読者はハンナの内面を凝視する。そしてそこに光のあたらない深淵を見出す。謎を解くための鍵らしきものはいくつか与えられているが、結論はおそらく出ないであろう。それでもよいのである。結論がでなければ、出ないということが(それはそれで)一つの発見なのだから。
書かれていないから、あるいは説明されていないから、そのためにかえって豊かな示唆がある、ということがある。最後の一行がその典型だ。「ぼくはハンナの墓へ行った。それが初めての、そしてただ一度の墓参りになった」。なんという余韻のある一行だろう。言外の趣のなんという深さ。なんと含蓄に富む結末だろう。

020111
 訳者の後書きによると、この小説の中で描かれているハンナの裁判は1960年代の半ばに行われたと考えられる(210ページ)。1963年12月から65年8月にかけて、いわゆる「アウシュヴィッツ裁判」が開かれ、かつての収容所の看守たちが裁かれた。この時初めてドイツ人がドイツ人の戦争犯罪を裁いた。
日本では東京裁判それ自体が尻すぼまりとなった。その後戦争犯罪を追及する声は次第に弱くなり、かつての戦争犯罪容疑者は不起訴となって政界に復帰した。その中には首相になった者すらある。一方、ドイツではニュルンベルク裁判が終わったあとも、ドイツ人が自らの手で自国の戦争犯罪者を裁いた。この違いは日本人の(忘れっぽいという)国民性から説明すべきことではない(その一面も否定できないが)。冷戦構造に日本が組み込まれたことによる必然の成り行きである。それは悲劇的な必然であった。
あの時代、国際関係の中で両国の置かれた状況の違いは、現在両国民の歴史意識の違いとしても表れている。シュリンクがいみじくも述べているように「歴史を学ぶということは、過去と現在との間に橋を架け、両岸に目を配り、双方の問題にかかわることなのだ」(171ページ)。過去を学び、過去を現在と未来につなげるという知の働きが、ドイツ人にあって日本人にない。そもそも現在の日本人には歴史意識なるものがないといってもよい。日本人にとって歴史は単なるストーリーであり(history ではなくてstoryであり)、過去は現在に光を当てない。戦後の日本の歴代政府は(そして歴代の文部省は)、東京裁判を契機として生まれ始めた日本人の歴史意識の芽をつみとり、見事にそれを枯らしてしまった。

020112
ミヒャエルは次のように考えることがある。過去のナチズムとの対決は、若者たちにとって「世代間の葛藤の表現」だというのである(161ページ)。親に反逆したいという潜在的な(あるいは時として顕在化した)欲求をもっているドイツの若者たちは、その欲求を過去の断罪という形で具体化したわけである。そのように考えることが正しいかどうかわからないが、面白い分析である。
この考察の中で「集団罪責」(161ページ)という興味深い概念がでてくる。ここでの文脈では、「集団」はドイツ人全体ではなく、ある特定の世代を指す。その世代を後(のち)の世代が糾弾する。集団罪責の内容を検討してみると(162ページ)、それは犯罪それ自体のみならず、傍観したこと、目をそらしたこと、犯罪と犯罪者を許容あるいは受容したこと、などを含んでいる。そして「第三帝国時代に起こった出来事のみに当てはまるのではなかった」(161ページ)。すなわち「昔ナチ党員だった人々が戦後も裁判所や行政部門や大学などで出世した」のである。黙認と傍観は戦中と戦後との二つの時代にわたって続いた。
主人公のミヒャエルは自分の周囲を見回す(89〜90ページ)。自分の親たちの世代は(友人知人の親たちは)ナチの第三帝国の中で、さまざまな役割を果たした。国防軍の将校だったものも2〜3人いる。親衛隊の将校も1人いる。法曹界や行政の分野で活躍した人もいる。ある学生の伯父は帝国内務省の高官であった。これらの人々は戦後の社会に受容されただけでなく、なかには「出世」する者すらあった。「ぼくたちは皆両親を断罪したが、その罪状は1945年以降も犯罪者を自分たちのもとにとどめておいた(社会的に追放しなかった)、ということだった」(90ページ)。だから「看守や獄卒だけが矢面に立って裁かれればそれでよいのではない」というのが、ミヒャエルがハンナの「犯罪」について考えるときのスタンスであった。
日本では戦前戦中に大人だった世代を、次の世代が批判するという図式はなかったように思う。ミヒャエルの周囲にはそれがあった。しかし私の周囲には(少なくとも顕在的な形では)なかった。私はその個人的な体験を一般化しているのかもしれない。M君にもその点について感想を訊いてみたいものである。日本では「集団罪責」なるものを考えるとき、世代の責任ではなくむしろ国家・国民の対外的な責任が視野を占める。
いずれにしても、「集団」という言葉が世代を意味するか、それとも国民を意味するかによって、大きな相違が生じてくる。問題の立て方が違ってくる。ここで少し脱線し、「集団」が「ドイツ国民」を意味するものと仮定すればどうなるか、という問題について考えてみよう。
ナチス・ドイツはオーストリアを併合し、ポーランドその他を侵略し、自国のみならず占領し支配した国々のユダヤ人を何百万人もガス室に送った。その時代に大人だった世代を、後(のち)の世代が弾劾するのはいわば内輪の問題である。対外的には意味がない葛藤である。個人的なレベルで考えてみると、子供が親の財産を相続するとき、負債も一緒に相続する。国のレベルでも同様なことが言える。A国のB国に対する責任は、A国内の世代が変わっても何ら変わらない。新しい世代が古い世代を批判することによって、対外的に自らを免責することはできない。対外的な責任主体は継続する。ある世代の集団罪責を後の世代が糾弾しても、国家の(国民の)集団罪責はそのことによって消滅しない。改めて指摘するまでもない自明の理である。

020114
 ミヒャエルは刑務所のハンナに本の朗読テープを送り続ける(10年間も!)。刑務所内でハンナが読み書きを覚え、書物を読むことができるようになってもそれを続ける。彼のその「律儀さ、粘り強さ」(訳者による「後書き」)は賞賛に値する。それは感動的ですらある。しかし彼はテープを送るだけで、その期間ハンナ宛てに手紙を一度も書かない。
 刑務所長はミヒャエルに「彼女はあなたから手紙がいただけることを期待していました」と言う。そのことは言われなくてもミヒャエルにわかっていた。ハンナは刑務所の中で読み書きを覚え、ミヒャエルに手紙を書き始めた。それでもミヒャエルのほうからは手紙を出さなかった(かたくなに!)。返事を出さなかった。いったいなぜなのか。
 「挨拶(ハンナからの手紙)とカセットを交換する」という状態を続けたのは、ハンナが「近くて遠い存在」(179ページ)だったからである。「近くて遠い」というのは、これより近くなることも遠ざかることも望まない、程よい距離が保たれている、という意味であろう。それが「気楽でエゴイスティックな関係だ」と言うとき(同ページ)、その言葉はミヒャエルの鋭い良心を示している。やや偽悪的ですらある。
 ハンナの出所が決まってから初めてミヒャエルが彼女を刑務所に訪れた時、彼はまたしても自分のエゴイズムと向き合い、自分に腹を立てる。「ぼくは彼女を小さな隙間に入れてやっただけだった。その隙間はぼくにとって重要だったし、ぼくに何かを与え、ぼくもそのために行動はしたが、隙間は隙間であって、人生の中のちゃんとした場所ではなかった」。彼はハンナを「隙間に入れただけ」と考え、良心の呵責を感じた。このような自己省察力をもつことがミヒャエルの魅力であり、私はその省察の鋭さに感銘を受けた。
 ハンナが出所すれば、「気楽でエゴイスティックな関係」は終わる。「気楽」ではなくなる。今後ミヒャエルはハンナに「隙間」を与えるだけでは済まなくなる。その予想に彼は困惑を覚えたはずである。しかしその問題はハンナの自殺によって解決された。ミヒャエルも問題がそのような痛ましい形で解決されたという事実を認めたであろう。そしてまたしても良心の呵責を感じたはずである。しかしシュリンクはそこまで描かなかった。自分が創造したミヒャエルという人物に愛着を感じ、そこまであからさまに描いてはかわいそうだと思ったのか。それとも、(今まで読者はハンナの内面を凝視したが)今度は(読者が)ミヒャエルの内面について思い巡らすことを望んだのか。

020115
 この小説は3章から成り立っている。第1章は少年ミヒャエルとハンナの関係を描いた部分。第2章はハンナの裁判。第3章は裁判が終了した後のことを語っている。全部で207ページあり、そのうち第1章が82ページを占めている。最初私は第1章が全体の中で占める割合が不自然に大きすぎる、という感じをもった。この問題にはあとで戻ってくることにして、少し回り道をしよう。
 ミヒャエルは研究者という職業を選んだ。「告発という行為は、弁護と同じくらいグロテスクな単純化に思えたし、裁くことは単純化の中でもそもそも一番グロテスクな行為だった」。この嫌悪感は、ハンナの裁判を傍聴した体験か得られた感覚である。だから検事にも弁護士にも裁判官にもならなかった。さらに消去法を進めて行き、最後に残ったのは法史学者としての道であった。
 彼の研究分野の一つは第三帝国時代の法律であった。この分野を選択する時、彼は(上述したように)歴史を学ぶことの目的と意味を正しく把握しており、そのことは強い印象を与える。「ぼくたちの現在は過去の遺産によって形成される」(How true!)とミヒャエルは述べている(これは著者の歴史観でもある)。この観点がこの分野でのミヒャエルの研究方法の柱である。
 同時に彼は「現在にとってあまり意味のない過去の問題に埋没することで、充足感を得ていた」。啓蒙主義時代の法律を研究する時そのような充足感と幸福感を覚えた。現在に積極的にかかわると同時に、それだけでなく、単なる過去への埋没も楽しんでいる(つまり現実を逃避している)、ということを打ち明けてくれる。このように本音を語るときのミヒャエルは魅力的である。自分をいくつもの角度から眺める、という点が私をひきつける。単純でないところがよい。
 ミヒャエルは問題の単純化をきらう。彼が両親の世代の「集団罪責」を考えるとき、同世代の他の者たちと違って、単純にこれを責めることはできなかった。両親を愛すること(父への屈折した愛については136ページ参照)によって、彼らの世代の「集団的罪責」に巻き込まれている、と考えたからである。
 ミヒャエルの父は哲学者で大学の講師であったが、「スピノザについての講義をすると予告したことで職を奪われ、戦争中はハイキング用の地図や本などの編集をすることで家族を養った」(90ページ)。そのことをミヒャエルは知っていた。そのことだけでもミヒャエルは(罪責を問うことによって)父を辱めることはできなかった。もし理論だけを独走させるならば、ミヒャエルの父も断罪の対象であった。なぜなら1945年以降、戦争犯罪者を許容した集団の一人だったからである。しかし父を糾弾すれば、その糾弾は(父を愛することによって父と結ばれている)自分に返ってくる。
 ハンナの場合にも同じことが言える。「ハンナを告発すれば、それは自分にも戻ってきた。ぼくは彼女を愛したのだ。愛しただけでなく、選んだのだ」。彼は自分を弁護しようと試みる。「ハンナを選んだ時には、ハンナのしたことを知らなかった」。この説得は成功しなかった。だからこそ彼はハンナとの関係を断ち切らず、刑務所へ朗読テープを送り続けたのだ。
 ここでようやく第1章の長さの理由が理解される。かつてハンナを強く愛していたこと、彼がハンナに離れがたく結ばれていたこと、などを作者は強調する必要があったのだ。第1章は、第2章以降の、ミヒャエルの複雑な心の動きを説明するための大切な布石である。作品の骨格を形成する基礎なのである。
コメント
お父様のレビュー読ませていただきました。
深いです。一度じゃ私には把握しきれません。
本当に感性が深く、耳を澄ましながらお読みに
なられているのだなと思いました。

素敵なお父様ですね!
  • しゅう
  • 2009/08/25 4:47 PM
しゅうさんへ

もともと文学の研究者ですからね。
分析したり読み解いていくのは得意だと思うけど
やっぱり父の感性とか歴史観が色濃く出ていると思います。
そこが尊敬出来るところでもあるし。

「耳を澄ましながら読む」って
しゅうさん、ステキな表現!

この本を読んでもらえれば
父のレビュー、理解できると思いますよ。
どちらも難しくはないと思います。
お貸ししましょうか?
っていうか、今日はChopin忘れないようにお持ちしまーす。
  • miporing
  • 2009/08/26 11:12 AM
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