映画『ノルウェイの森』
- 2011.01.10 Monday
- 21:55
twitterで、生まれて初めてお一人様映画した作品のことをつぶやきながら
ふと思ったのでした。
「観たい映画があったら、ひとりでもパッと観に行くべきだわ!」
久しぶりに映画館で映画を観ました。
最近小説のほうを再読し終えたばかりだったので記憶が鮮明なうちにと思って。
昭和の匂いのする、ミドリの家や直子の一人暮らしの部屋のインテリアは素敵でした。
が、 あの長い小説を映画の時間にぜんぶ詰め込むのは無理なのよね、やっぱり。
村上春樹さんの小説というのは、『ノルウェイ』に限らず、音楽のが重要な要素になっているのですが
映画の中では、タイトルに使われているビートルズの『ノルウェイの森』が出てくるだけ。
直子の20歳の誕生日に二人で聴く『ワルツ・フォー・デビー』も、レイコさんがギターで弾くバッハのフーガや『亡き王女のためのパバーヌ』も出てこない(涙)。
聴きたかったのになー。
特に、終盤、レイコさんが東京のワタナベ君の部屋(庭のある一軒家)で40曲もギターを弾いて、直子のお葬式をやり直す場面が私好きなのに、映画ではカットされてる!
大切なシーンなのに。
レイコさんが『ノルウェイの森』を弾いて二人でメソメソ泣くだけなのー
しかも、うらぶれたアパートなんだもん。
違うのよ。
本当のお葬式が寂しいお葬式だったから、二人で楽しくお葬式をやり直しましょう、という意味がある、二人がやり直すための大切な儀式なのに!
レイコさんは小説の中ではもっとさばさばしてて、ちょっと枯れてるイメージだったんだけど、
映画の中ではジトッと色っぽく、「ねえ、お願いがあるの。私と寝て」とか言うのです。
でもって、ワタナベ君が明らかにイヤそうに、「ほんとにするんですか?」とか言うのですよ。
いやだー
小説の中では、ギターのお葬式のあとに、二人で自然にそうなって、幸せなセックスをするのに
映画ではなんか、もうほんとに暗いの。
観ててつらかったです、レイコさん。
小説では、レイコさんはもう大丈夫。はばたける!と明るい印象だったのに、台無し…。
もうひとつ大切なところがすっぽり抜けてました。
ミドリが、なぜワタナベ君を信用し愛するようになったか。
小説で、死に直面しているミドリの父親を病院に見舞ったときに
ほとんど何も食べない、意思表示も出来ない父親と、ワタナベくんが心の交流をし、きゅうりを一本まるまる食べさせてしまったところが出てきます。
この奇跡のきゅうり事件は、ワタナベくんが人の心を溶かす温かいチカラを持ってることをミドリに気付かせるシーンです。
これが映画でカットされていることによって、ミドリとワタナベくんの間の信頼関係が希薄に感じられて
ゆえに、最後のシーンに説得力がなくなってしまっているのじゃないかしら?
ミドリのおかしな言動には、ワタナベ君にもっと楽しそうに反応してもらいたかったし、ミドリがてきぱきとお料理する姿も描いてほしかったー。
哀しいお話ではあるけれど、小説の中には希望もあるしユーモアも美しい音楽も美味しいお料理もあるのに
そういう要素ひとつひとつが、映画では描かれていなかたのがとても残念。
それが狙いなのかもしれないけれど、暗すぎました。
どよよーん。
私、小説を読んで、ワタナベ君に恋しちゃいそうって思ったけれど、映画のなかのワタナベくんは、あまり魅力的ではなかったです。
残念ながら。
直子の20歳の誕生日の翌朝、小説では直子の部屋を片付けて出て行った記憶があるんですけど
映画では散らかしっぱなし食べっぱなし。
何よりレイコさんとの最後のシーンがやっぱりイヤ。
あれじゃあんまりです。
ふと思ったのでした。
「観たい映画があったら、ひとりでもパッと観に行くべきだわ!」
久しぶりに映画館で映画を観ました。
最近小説のほうを再読し終えたばかりだったので記憶が鮮明なうちにと思って。
昭和の匂いのする、ミドリの家や直子の一人暮らしの部屋のインテリアは素敵でした。
が、 あの長い小説を映画の時間にぜんぶ詰め込むのは無理なのよね、やっぱり。
村上春樹さんの小説というのは、『ノルウェイ』に限らず、音楽のが重要な要素になっているのですが
映画の中では、タイトルに使われているビートルズの『ノルウェイの森』が出てくるだけ。
直子の20歳の誕生日に二人で聴く『ワルツ・フォー・デビー』も、レイコさんがギターで弾くバッハのフーガや『亡き王女のためのパバーヌ』も出てこない(涙)。
聴きたかったのになー。
特に、終盤、レイコさんが東京のワタナベ君の部屋(庭のある一軒家)で40曲もギターを弾いて、直子のお葬式をやり直す場面が私好きなのに、映画ではカットされてる!
大切なシーンなのに。
レイコさんが『ノルウェイの森』を弾いて二人でメソメソ泣くだけなのー
しかも、うらぶれたアパートなんだもん。
違うのよ。
本当のお葬式が寂しいお葬式だったから、二人で楽しくお葬式をやり直しましょう、という意味がある、二人がやり直すための大切な儀式なのに!
レイコさんは小説の中ではもっとさばさばしてて、ちょっと枯れてるイメージだったんだけど、
映画の中ではジトッと色っぽく、「ねえ、お願いがあるの。私と寝て」とか言うのです。
でもって、ワタナベ君が明らかにイヤそうに、「ほんとにするんですか?」とか言うのですよ。
いやだー
小説の中では、ギターのお葬式のあとに、二人で自然にそうなって、幸せなセックスをするのに
映画ではなんか、もうほんとに暗いの。
観ててつらかったです、レイコさん。
小説では、レイコさんはもう大丈夫。はばたける!と明るい印象だったのに、台無し…。
もうひとつ大切なところがすっぽり抜けてました。
ミドリが、なぜワタナベ君を信用し愛するようになったか。
小説で、死に直面しているミドリの父親を病院に見舞ったときに
ほとんど何も食べない、意思表示も出来ない父親と、ワタナベくんが心の交流をし、きゅうりを一本まるまる食べさせてしまったところが出てきます。
この奇跡のきゅうり事件は、ワタナベくんが人の心を溶かす温かいチカラを持ってることをミドリに気付かせるシーンです。
これが映画でカットされていることによって、ミドリとワタナベくんの間の信頼関係が希薄に感じられて
ゆえに、最後のシーンに説得力がなくなってしまっているのじゃないかしら?
ミドリのおかしな言動には、ワタナベ君にもっと楽しそうに反応してもらいたかったし、ミドリがてきぱきとお料理する姿も描いてほしかったー。
哀しいお話ではあるけれど、小説の中には希望もあるしユーモアも美しい音楽も美味しいお料理もあるのに
そういう要素ひとつひとつが、映画では描かれていなかたのがとても残念。
それが狙いなのかもしれないけれど、暗すぎました。
どよよーん。
私、小説を読んで、ワタナベ君に恋しちゃいそうって思ったけれど、映画のなかのワタナベくんは、あまり魅力的ではなかったです。
残念ながら。
直子の20歳の誕生日の翌朝、小説では直子の部屋を片付けて出て行った記憶があるんですけど
映画では散らかしっぱなし食べっぱなし。
何よりレイコさんとの最後のシーンがやっぱりイヤ。
あれじゃあんまりです。
僕は高校生の頃、リアルタイムでこの小説に出会いました。
読むだけで不思議と心が落ち着く文章に虜になって何度も何度も
読み返したました。
僕はみどりのパートが好きでした。
キュウリに海苔のエピソードも、ベランダから火事を見ながらも
レイコさんとの直子の優しいお葬式も、カットされているのが
何でなんだって思って残念でした。
私も若い頃にこの小説に出会ってから3回読みました。
読むたびに不思議と印象が変わるのですが、そのたびに新鮮で、小説の中にも自分自身の中にも新しい発見があります。
映画で好きな場面がカットされていたり歪曲されたりしているとがっかりしますね。
原作に思い入れがあるとなおさらね。