台風に見舞われて
- 2011.09.22 Thursday
- 13:49
会社の前に、大きな金木犀の樹があって
風に煽られてユサユサと大きく揺れる。
既視感...
311をイヤでも思い出してしまう。
前日に関西を直撃して、大きな被害を出して
翌日には関東に上陸とわかっているのに
ふつうに出勤していく東京の会社員たち。
私も含めてだけど。
これって、考えてみると恐ろしい麻痺状態なんじゃないかと思う。
人間って慣性で生活することに安定を見出すものだし
キケンを過小評価したり、日常を守ろうとする本能があるんだということはわかるけど
立ち止まって「ちょっと待って」と、考えてみることとか
いつもと違うことをやってみるとか
他人と違う行動をとる、ということに、
無意識に躊躇することにつながる危険性を感じてしまう。
いつも前に進むこととか
昨日こうしたから今日もこうするってことが大事なんじゃなくて
どっちの方向に進むのか選択するタイミングだって存在するんじゃないのかな?
人と同じはイヤとか言ってるんだからさ(自分に言ってる)。
せめて、前日に、次の日のことを本社と上司に確認をしておくべきだったと思う。
はっきり言って、私は、なーんにも考えずに朝、家を出てきたのだ。
前日にあれだけ関西方面での被害や混乱ぶりが報道されてたっていうのに
お気に入りの可愛い傘を壊したくないからビニ傘を持っていこう〜、なんて
のん気なことだけに気を使って。
やはり首都圏のほとんどの電車が止まってしまって
会社を出て帰宅するべき時間に雨風がいちばん強くなって
結局、上司に家まで車で送ってもらった。
21時半帰宅。
ちゃんと考えてれば、少なくとも「想定外」とはいえないことだ。
家の前で降ろしてもらったら
風にちぎれ飛んだ枝や葉っぱがたくさん散らばっていたけれど
もう雨も風もやんでいて
秋の虫が平和に鳴いていた。
傘をさすことは、結局いちどもなかった。
楓の枝を三本だけ拾って
あすかに投げ入れ。
けっきょく私はPCとTVっていうモニターからしか台風を見てなくて
せいぜい会社の窓と車の窓からぬくぬくと眺めてただけだ。
ちっとも体感してなくて
帰宅できなかった人びとが電車に乗れなくて
渋谷や新宿や新橋の駅で疲れ果てた様子も
川があちこちで溢れたり
道が川のようになったり
タクシーに街路樹が倒れたりするところも
なにひとつ自分の目で見てない。
渦中にいたはずなのに。
そのことも、こわかった。
体験してないのに、体験したような気分にだけなることが。
実感が無い、という、そのことが。
そんなことをつらつらと考えてる頃、
東京を抜けた台風は、福島に限りなく接近してた。
事故から二度、台風が東北をうまくかわして北上してくれたから
こんども避けてって祈っていたんだけれど。
原発の汚染水(きっとすごい放射線量)の水位が上昇してるという。
半壊してる建屋だって、暴風に耐えられるんだろうか?
台風が放射能を掻き回し、また日本中に降り注ぐのか?
って思ってたら、次の瞬間に「ゆれくる」が鳴って
グラグラと揺れた。
長かった。
震源地は茨城で、震度3。
なにもこんなタイミングで揺れなくてもいいのに...
それほど大きくもなかったのに、怖かった。
朝はお約束の台風一過。
透明な、キラキラと光る空気に満たされた朝。
でも、しばらく影を潜めていた蕁麻疹で
私は夜中に目が覚めちゃっていて
眠いことこのうえない。
昨日の今日だったから、もしかしたらやっぱり心因性なのかも、
なんて、思ったり思わなかったり。
だって、ほかに原因が思いつかないんだもの。
だけど、だとしたら、私ってなんて弱いんだろうという自己嫌悪も感じたりする。
自分は楽観的性格で、けっこうストレスフリーだと思ってたのに
311以降は、こんなことばっかりだ。
地震も台風も津波も「天災」っていうけれど
もしかしたら地球がアレルギー起こしてるんじゃないのかな?
ストレス感じてるんじゃないのかな?
クシャミとか蕁麻疹とか、鼻水とか涙なんじゃないのかな?
感じてないと思い込んでいても身体にストレスがあらわれて
「ゆっくり休養しなさい」とおしえてくれるみたいに、
地球が今、私たちに警告してくれてることに
耳をすまさないといけないんじゃないかと思う。
外に出たら、いつもの道にも、枝や葉っぱや、色づき始めた実が散らかってた。
清々しい真っ青な空とは対照的に。
大好きな遊歩道だけれど、きっと放射線量も高くなってるだろう。
土、緑、雨。
自然の恵みが脅威になるなんて、皮肉だ。
風に煽られてユサユサと大きく揺れる。
既視感...
311をイヤでも思い出してしまう。
前日に関西を直撃して、大きな被害を出して
翌日には関東に上陸とわかっているのに
ふつうに出勤していく東京の会社員たち。
私も含めてだけど。
これって、考えてみると恐ろしい麻痺状態なんじゃないかと思う。
人間って慣性で生活することに安定を見出すものだし
キケンを過小評価したり、日常を守ろうとする本能があるんだということはわかるけど
立ち止まって「ちょっと待って」と、考えてみることとか
いつもと違うことをやってみるとか
他人と違う行動をとる、ということに、
無意識に躊躇することにつながる危険性を感じてしまう。
いつも前に進むこととか
昨日こうしたから今日もこうするってことが大事なんじゃなくて
どっちの方向に進むのか選択するタイミングだって存在するんじゃないのかな?
人と同じはイヤとか言ってるんだからさ(自分に言ってる)。
せめて、前日に、次の日のことを本社と上司に確認をしておくべきだったと思う。
はっきり言って、私は、なーんにも考えずに朝、家を出てきたのだ。
前日にあれだけ関西方面での被害や混乱ぶりが報道されてたっていうのに
お気に入りの可愛い傘を壊したくないからビニ傘を持っていこう〜、なんて
のん気なことだけに気を使って。
やはり首都圏のほとんどの電車が止まってしまって
会社を出て帰宅するべき時間に雨風がいちばん強くなって
結局、上司に家まで車で送ってもらった。
21時半帰宅。
ちゃんと考えてれば、少なくとも「想定外」とはいえないことだ。
家の前で降ろしてもらったら
風にちぎれ飛んだ枝や葉っぱがたくさん散らばっていたけれど
もう雨も風もやんでいて
秋の虫が平和に鳴いていた。
傘をさすことは、結局いちどもなかった。
楓の枝を三本だけ拾って
あすかに投げ入れ。
けっきょく私はPCとTVっていうモニターからしか台風を見てなくて
せいぜい会社の窓と車の窓からぬくぬくと眺めてただけだ。
ちっとも体感してなくて
帰宅できなかった人びとが電車に乗れなくて
渋谷や新宿や新橋の駅で疲れ果てた様子も
川があちこちで溢れたり
道が川のようになったり
タクシーに街路樹が倒れたりするところも
なにひとつ自分の目で見てない。
渦中にいたはずなのに。
そのことも、こわかった。
体験してないのに、体験したような気分にだけなることが。
実感が無い、という、そのことが。
そんなことをつらつらと考えてる頃、
東京を抜けた台風は、福島に限りなく接近してた。
事故から二度、台風が東北をうまくかわして北上してくれたから
こんども避けてって祈っていたんだけれど。
原発の汚染水(きっとすごい放射線量)の水位が上昇してるという。
半壊してる建屋だって、暴風に耐えられるんだろうか?
台風が放射能を掻き回し、また日本中に降り注ぐのか?
って思ってたら、次の瞬間に「ゆれくる」が鳴って
グラグラと揺れた。
長かった。
震源地は茨城で、震度3。
なにもこんなタイミングで揺れなくてもいいのに...
それほど大きくもなかったのに、怖かった。
朝はお約束の台風一過。
透明な、キラキラと光る空気に満たされた朝。
でも、しばらく影を潜めていた蕁麻疹で
私は夜中に目が覚めちゃっていて
眠いことこのうえない。
昨日の今日だったから、もしかしたらやっぱり心因性なのかも、
なんて、思ったり思わなかったり。
だって、ほかに原因が思いつかないんだもの。
だけど、だとしたら、私ってなんて弱いんだろうという自己嫌悪も感じたりする。
自分は楽観的性格で、けっこうストレスフリーだと思ってたのに
311以降は、こんなことばっかりだ。
地震も台風も津波も「天災」っていうけれど
もしかしたら地球がアレルギー起こしてるんじゃないのかな?
ストレス感じてるんじゃないのかな?
クシャミとか蕁麻疹とか、鼻水とか涙なんじゃないのかな?
感じてないと思い込んでいても身体にストレスがあらわれて
「ゆっくり休養しなさい」とおしえてくれるみたいに、
地球が今、私たちに警告してくれてることに
耳をすまさないといけないんじゃないかと思う。
外に出たら、いつもの道にも、枝や葉っぱや、色づき始めた実が散らかってた。
清々しい真っ青な空とは対照的に。
大好きな遊歩道だけれど、きっと放射線量も高くなってるだろう。
土、緑、雨。
自然の恵みが脅威になるなんて、皮肉だ。