蓮の葉は、初夏から、風葉〜衰葉〜敗葉と呼び名が変わるそうです。
それは流派独特の呼び方なのかググってみてもわからなかったのですが、「文人」という概念だったり人間類型自体が中国のものなので、この蓮の葉の呼び方も中国のものなのかもしれません。
文人調いけばなでは衰葉や敗葉を使います。
日本の「風流」や「わびさび」ともちょっと違う、独特の趣があります。
写真はお稽古のときのもの。
研究会では立ち上げた野ばらが枝の太いしっかりしたものだったので、主役の蓮の花をきわだたせるためにはもう少し細い枝か、太い枝しかなければ実を間引いて主張しすぎないようにした方がよかったという寸評をいただきました。
「主枝」と「主役」は違うのですね。
蓮は、いちばん大きく存在感のある葉?を高く、次に手前に?、小さな葉?をうしろに挿します。
?は、高くするために別の足をつけて、その足を折りました。今回は菊が二本きたので、使わない方の菊の茎を足にしました。
?は、菊をいける箇所にスリットを入れるといいんだけど、鋏で切るのではなく、手でびりびりと裂くのでもなく、手刀をビッと入れる。わーわー、面白い。
?は、少し葉を傾けて葉裏を見せると雰囲気が出てよい。
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荒井良二さんのことは存じ上げなくて、友だちの勧めで来ました。
じつは午前中に病院の眼科で定期検査の診察を受け、病気が少しずつ進行して視野が狭くなり続けてることをあらためてドクターから告げられて落ち込んで泣きそうになっていたのですが、午後、この場所に来て、とてもとても癒されました。
京急堀之内で拾ってもらって、びゅーんと海沿いを走り、潮の香りをかぎながら、かもめと並走して、到着!
ほんとにめっちゃロケーション抜群の美術館です。
ランチを食べ損ねてしまったので、美術館のカフェに入ったのですが、ギリギリでランチタイム終了しており、無花果と胡桃のケーキをいただきました。テーブルの上のミニミニブーケは山葡萄の実が入っていて季節先取り。
目の前には海が見えて気持ちがよかった。
荒井良二さんは絵本作家でもあり、挿絵を描く人でもあり、オブジェやお人形も作るし、布や糸好きのわたしとしてはラグがあったのも嬉しかったな。
とっても多作でエネルギッシュですが、内気な子供のような繊細さもあり、その両極が彼の大きな魅力のひとつだと感じました。
イノセントという言葉が頭に浮かんで離れなかった。
こんな世界が頭の中につまっていたら、目が見えなくなってもたくさんのものが見えそう。
最初のお部屋は絵本のお部屋。ぜんぶ読みたかったけれど、時間が足りない。「まだまだ先があるよ」と友だちが呼びにきたほど、ここで足が止まりすぎた 笑
次は、過去作品など。
とにかく作品がたくさんたくさん!
荒井良二さんの「作りたい」「作った」「見せたい」が溢れています。
帰りは観音崎まわりで、びゅーん。
ずっとユーミンの『よそゆき顔で』と『コバルト・アワー』が頭の中で鳴っていました。
]]>最寄駅は六本木一丁目。
この界隈は静かで人が少なくて、みんながおっとりしていたころのいい時代の東京がそのまま残っている雰囲気。
表参道や新宿、渋谷などに慣れていると「東京!なんでこんなに人が多いの!街もみんな再開発で同じ顔してて!」ってゲンナリするけど、このあたりは同じ東京都は思えない。
駅から集古館までのあいだにはスウェーデン大使館とスペイン公使官邸があって、有名な霊南坂教会もあります。
そしてなんといっても存在感があるのはホテルオークラ。
ほかのホテルとは格がちがう。
その大倉さんが設立した、日本初の美術館が、この集古館だそうです。
館内はいっさい撮影禁止でした。
残念。
インドのプリント(当時は手描き!)や織物は、ヨーロッパを驚かせ、テキスタイルの革命を起こさせるパワーがありました。
今でこそ英国のペイズリー柄のストールやフランス更紗などが有名だけれど、元をたどれば、すべてインドから来ています。
ペイズリーというのもスコットランドの地名で、インドから持ち込まれたテキスタイルの模造品で繊維業が盛んになったのだそうです。
日本にインドの布が輸入されたのは、オランダ経由だそうです。
インドのテキスタイルを使って縫われた着物も展示されていました。
インドを旅行したフォロワーさんの投稿をtwitterで追っていたことがあるんですけど、インドの方たちは布づかいがとても上手で、男の人でも可愛い布をくるくるっと腰に巻いたりして、とてもおしゃれなんですね。
インド更紗でお洋服を作りたくなりました。
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8月20日までなので、ほんとうにギリギリすべりこみ。
いつもこう。
前半の方が空いているのはわかっているのですけれどね。
才能豊かで奔放というイメージのあるマティスですが、芸術家には芸術家なりの苦悩があり、乗り越えなければならないと感じる壁と対峙していのだということがわかりました。
マティスは昔から好きで、富山まで切り絵を観に行ったり、ポンピドゥーでもまとまった作品を見たけれど、ちゃんとしたマティス展は初めてかも。
一部、撮影可能な展示もあったので、好きなものは撮ってきました。いくつかご紹介。
彼らしい色とりどりの作品も好きだけれど、デッサンや線描も好き。
第一次、第二次の二つの世界大戦を体験しているマティスですが、作品を見るとフランスが統治した北アフリカからはだいぶインスパイアされたのがわかります。大国による植民地支配というものを彼がどう捉えていたか、残念ながらその作品から窺い知ることはできないけれど、大きな影響を受けていたことは確かです。
晩年は切り絵に挑みます。大きな作品から小さなものまで。
可愛くて大好き。
最後の展示は、撮影はできなかったけれど、マティスがすべてデザインした南仏ヴァンスにあるドミニコ礼拝堂に関する動画やなにやら。圧巻だった。色、光の使い方、ほんとに素晴らしい。
いつか現地に行ってみたいとずっと思っていて、今回はまるで中に入ったような気分になれるような、大きな動画で見られて嬉しかったです。
ミュージアムショップでは、欲しいものだらけで散財しました。
同じ東京都美術館内で展示のあった、荒木珠奈さんの展覧会もよかったです。幼少期に過ごされたというメキシコに大きく影響を受けたという、可愛くもちょっと怖くて、楽しい展示でした。
遅めのランチは、新宿に出てBERGで軽く。軽いけど美味しい。
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時間が少なかったので、旧北国街道周辺を中心にフラフラ歩いただけだけれど、充実でした。
位置関係わかってなかったけど、小諸は軽井沢から近いんですね。
雲がかかっていたけれど浅間山も見えました。
最初に入ったのがここ。
昭和40年代まで味噌醤油醸造業を営んでいたという清水屋さんの商家の建物をそのまま利用した多目的設備だそうです。
次は、いまでもお酒を造ってらっしゃる、老舗の大塚酒造さんを見学。
さて、さよなら長野。
帰りはちょっと遠回りして、清里に寄って一息。とても寂れていて想像通りだったけど、ここROCKはけっこう賑わっていた。
帰りは中央道から。
富士山が見えて、夕方になると自分たちの影が高速道路に映るのが見える。
もうすぐ旅が終わってしまう寂しさと家に帰れる安心感とがないまぜになるこの感じが好き。
晩ごはんはうちの近所のデニーズで。
高速から降りる直前に降られた雨で濡れた身体にエアコンの風が冷たかったけれど、家に帰ってすぐお風呂。
温泉とは違うけれど、お家のお風呂もいいね。
あー楽しかった。
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とりあえず大雲寺で蓮を見て稲荷山の古い街並みを歩いてみようと決める。
戸倉駅から、しなの鉄道で屋代駅に出て、そこから大雲寺に行こうとするも循環バスが複雑でしかも本数が少ないのでタクシー。
途中、運転手さんが「あれが姨捨駅ね」と高い山の上を指差す。「棚田なんて昔からあるのになんで有名になっちゃったのかな」って言っていて、「テレビじゃないっすか?」とか適当に返す。
大雲寺は季節ごとの花が美しいお寺ということで、夏は蓮が見事とのこと。人がぜんぜんいなくて、だいぶ終わってたけど名残の花をゆっくりと見ることができた。静か…って言いたかったけど、ウシガエルの鳴き声が楽しくて。石垣がお城のような立派なお寺だった。
美しい蓮を見ながら聴くお寺の鐘の音は8月9日のお昼前という時間的なこともあり、場所は違えども長崎の鎮魂の音のようにわたしの胸に響く。
8月は6日と9日と15日はやはり意識の中にいろいろと湧き立って来るものがある。
さて、ここからどうやって移動しよう。
最寄駅は姥捨。iPhoneで見ると徒歩44分。それしか手段は無さそう。
時間は11時半。炎天下だけどお茶と日傘とiPhoneを頼りにGo!
棚田の中を歩くのかなって思ったけど、わたしの歩いたルートは果樹園ルートだったみたいで、りんご、葡萄、キウイを見つつ、ひたすら斜面を登る登る。
時間的にほとんど日陰が無くて、人影も無いので倒れたら発見されるのに時間かかって熱射病で死ぬよねって思いながら登る登る。有名な棚田じゃなくても、ちょっとしたスペースに三段くらいの棚田があったりする。山の多い日本でお米を作る先人の知恵だけど、治水のことなど思うといろいろ苦労もあるのだろうな。今は夏なので青々と目に涼しげな田んぼではあるが、実際は涼しくない。けっきょく姥捨駅まで一時間。滝汗。よく歩きました。えらかった。
もう絶景もどうでもよく、反対側のホームへ行けば素晴らしい景色が眼下に広がることがわかっていても階段を上がる気力が自分の身体のどこをどう叱咤しても湧いてこない。
ランチは稲荷山で取ろう。しかし、その予定がいかに甘かったか、あとで思い知ることになる。
姨捨駅から稲荷山へ篠ノ井線で一駅だが、姥捨からの絶景と共にこの一駅の間のスイッチバックも鉄道マニアの間では有名なのだそう。
さて、「古い情緒ある街並みの」最寄り稲荷山駅。だけどバスは相変わらずわからない。タクシーはいない。ついでに人もいない。目的地まで徒歩30分ということだけはわかった。ううう… しかし嘆いてもわたしには歩く選択肢しか残されておらず、観光マップに載っているくらいの観光スポットならば、そこに行けば何か食べられるだろうという期待だけを頼りにまたまたGo! 途中はふつうの田舎道。だーれも歩いてない。
ちょっと嫌な予感がしつつも芙蓉や向日葵、アルストロメリア、ミニりんごなど、道端に咲く夏の花や果実を愛でつつ暑い暑い、お腹空いた、と独り言を口にしつつトボトボと歩き続け、目的地にやっと辿り着いたものの、「古い街並み」と思っていたのは「朽ち果てそうな古い土蔵と廃屋が数棟立ち並ぶ界隈」なのであった。
それはそれで悲しい風情があり、写真に撮ればそれなりに絵にはなる。でも飲食店は皆無、ベンチすら無く、「そして僕は途方にくれる」というフレーズが頭に浮かぶ。もうほんと体力の限界だけど、座ることもできない。
少し大きな通りに出ればタクシーが拾えるかもしれないという一縷の望みを抱いてフラフラと歩いていたら、なんとバスがこちらに向かって走ってくるのが見えて、自分がちょうどバス停にいるのに気づいて、行き先も確かめずに飛び乗ってしまった。
どこでもいい、駅に停まったら降りて、そこから電車に乗ろう、そう思った瞬間に「このバスは上山田温泉経由…」というアナウンスが聞こえて、神様に感謝した。それはまさに「夢なの?」と、ほっぺをつねりたいくらいの幸運だった。でも電車に乗る必要もなく宿の近くまで戻ってこられた喜びも束の間、わたしの空腹と疲れを癒してくれるところはどこ⁈とまたフラフラ。仕方がない、少し歩くけど今朝チラリと見たコンビニでおにぎりでも買って部屋に戻るかと歩いていたら、カフェ発見!coco rest さんという名前の新しめのカフェで、ピザトーストとアイスカフェオレが涙が出るほど美味しくておまけにお姉さんが親切で、このご恩は一生忘れませんという気持ち。
一度宿に戻って一息ついてから、夕方に戸倉駅周辺まで行き、周辺を探索。
可愛い燕のヒナたちやきれいな虹を見てカラコロの湯という足湯に浸かっていたらお山の「戸倉上山田温泉♨️」の一文字ずつの文字看板(温泉街からよく見えて観光客を出迎えてくれる。夜は赤くライトアップされる)が目に入り、夕景が見られるかもだからあそこに登ってみよう!となり、城山という名前らしいビューンと登ってみた。
そこにあったのはディープな世界。澳津神社は男女和合の神様が祀られていて、男性器と女性器が並んでおり、おお、こういうの噂には聞いたことある!と写真を撮ったけど撮影禁止って書いてあったらしい。安産とか子孫繁栄とか子宝とか、そういう意味合いがあるのですね。大きな善光寺に足を踏み入れぐるりと回ると眼下に上山田温泉街と千曲川が一望出来る。
数年前まではロープウェイが通っていたらしく、そのロープが見えた。帰り際に少し高いところに怪しげな廃墟が見えて、調べたら歴史館という曖昧でざっくりとした名前の建物で、割れた窓ガラスといいその廃墟っぷりがオーラを放っていた。
どんどん暗くなってきちゃって、明るかったらもう少し探検してみたかったな。
そして次は姨捨駅からの夜景を見ようということになり、ビューン。
昼間はあんな思いをして登った山を、ビューンです。
さて晩ごはんはレトロな喫茶店「あもん」さんでナポリタン。
そして宿に戻ってお風呂!
たくさんたくさん冒険した気分になった、充実の一日だった。
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後ろからスピードメーターを恐る恐る覗き込むと最高時速は120キロ、ということが何度かあり、生きた心地がしなくて、夢を見ているみたいだった。
車のシートベルト着用とかめっちゃ厳しいのに、バイクはただ掴まってるだけとか、なんでこんなに法律が緩いのかと思う。途中、横川のSAにあるDOUTORでアイスコーヒータイム。
この日、ランチはどうしたんだっけな。思い出せない。やはりきちんと記録しておかないと忘れるな。
兎にも角にも宿に到着するも緊張し切っていた身体がバリバリでストレッチ。若菜さんというお店でいただいた丁寧に作られた定食と宿のお風呂でホッとした。
なかなか撮れないので写真少なめ。関越道から見た夏の雲が印象的だったこと。車と比べると空がよく見渡せる。それといろんな匂い。肌に当たる風の温度も上がったり下がったり。途中パラパラって降った雨は、高速で走っているとシールドがあるにもかかわらず、顔に当たって痛かった。そんな夏の空気感や身体的な感覚を忘れずにいたいと思った。
ほとんど歩いてないのにApple Watchの「ムーブ」が2週半もして、過去最高を記録したことは、バイクの後部座席で高速を走るのがいかに体力を使うことか証明しているよね。びっくり。
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河骨の水揚げのために500mlくらい入るボールを2つ用意。
河骨の根元についた泥をよく洗い、白い部分は出来るだけ残さずに水平に切りそろえる。
河骨の水揚げは one chance. ごみのないきれいな水をポンプに吸入。
葉の隅々までゆっくり水を入れる。
水揚げした花材は、逆さにしてもう一つのボールに入れておく。
葦も乾燥しやすいので霧を吹いて濡れ新聞に包んでおく。
河骨→葦の順にいける。
研究会は、青森支部の伊東工先生がご好評と寸評をしてくださいました。
伊東先生は、寸評の時にきちんと鋏を持ち、ひとつひとつ丁寧に見てその場でいけ直ししてくださる。
優しさとユーモアを交えてお話をしてくださり、そのいけ直しした作品の美しさに、
ぞろぞろとついて回るわたしたちからは感嘆とため息と、花材がピタッと止まるとときどき拍手などが湧きます。
言うまでもなく、たいへんな経験と技術をお持ちでいらっしゃることが、わたしにもわかります。
ああ、一級に進級したと舞い上がっている場合ではない。ここではまだまだひよっこなのだ。
少しでも先生に近づきたい、ますます研鑽を積まなければ、と思う研究会でした。
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お気に入りの隠れ家的カフェ、アンセーニュ・ダングル。
創立46年の老舗ですって。
次々と目まぐるしく変わる原宿の中で、もうそれだけで素晴らしいこと。
こだわりを感じるお店にありがちな「ちょっと気難しそうなマスター」ではなくて
お店の方はほんとに感じが良くて、ゆっくりできました。
原宿の喧騒を忘れさせてくれる素敵なカフェです。
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原宿も、パレフランスがなくなり、可愛い駅舎がなくなり、竹下通りにコンビニや100均や家電量販店が並ぶのを見てつらく思う年代のわたくしです。
なので、裏道を通って、かつての建物がそのまま残るわけじゃなくても、わたしたちの知る原宿らしさが残っているとホッとする。
表参道は緩やかな坂道で、今のように温暖化する以前は、雪が降ると子供たちがそり遊びをしたそうだけれど、交通量も少なかったのですね。裏道は表参道とは違い、複雑なアップダウンがあり、タモリさんが好きそうな感じで、わたしも好き。
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簡単で美味しかったので、定番の仲間入りをさせようと思います。
作り方
下準備・・・生鮭に塩コショウをする。
一口大にカットしたじゃがいもを固めに茹でておく。(レンチンなら500wで5分くらい)
味噌だれ(味噌を酒で伸ばし、醤油、砂糖、みりんを加える)を作る。分量はお好みで!
調理・・・キャベツ(ザクザク)、玉ねぎ(くし切り)、しめじ(適量)、にんじん(短冊切り)をカットする。
薄く油をひいたフライパンに生鮭を入れて皮目の側を軽く焼く。
焼き色がついたら、鮭の上や隙間に野菜(茹でたじゃがいもも一緒に)を入れる。
わたしは、箸で隙間を埋めるように、みっちり野菜を入れましたが、
その際、鮭が崩れないように気を付ける。
タレをじゃーんと入れて、蓋をする。
もし、野菜がフライパンにはいりきらなくて余っていたら、
ちょっと嵩が減ったところに加えるといいと思います。
そして約10分蒸し焼きにする。
ときどき箸で野菜を混ぜて(鮭がくずれないように)まんべんなく味噌だれが絡まるようにする。
蓋をとったら、胡椒をふりかけ、野菜→鮭の順にきれいに盛り付けて、
食べる直前にバターを乗せて、山椒をゴリゴリトッピング。
じゃがいもが、意外といい仕事をしてると思いました。
冷めても美味しいので、お弁当にもいいですよ。
JUGEMテーマ:家庭
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春になると、お稽古場が華やぎ、自分のだけではなくお社中さんたちの作品を見るのも心が浮き立つような気持ちになります。
今日はひな祭りバージョンで桃と菜の花とゼンマイをいけました。
花付きの良い枝を、根元と、菜の花の間に入れて、桃の可愛らしさを際立たせます。
桃の蕾が、まるでピンク色の宝石のよう。いけたものを一度解体して大事大事に包んで帰るのですが、家で包みを開けるとこのピンクの宝石がいくつも落ちてしまっているので泣く、までがお稽古です😭
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生姜焼きなんですけど、ベースのお酒+お醤油+生姜のすりおろしに、黒酢、みりん、ごま油少々、白いりごまを足してたれを用意しました。
肉に塩胡椒しておいて、表裏を焼いて、たれをかけて少し煮詰めます。
盛り付けてから、たれをかける。
キャベツのみじん切りには、軽く塩とレモン果汁。食べる前にマヨ。
これが生姜焼きのたれと混ざるのが好き。
このレシピだと、豚肉じゃなくて鶏肉にも合いそう。今度やってみます。
ポテトサラダは、レンチンではなく、お鍋で茹でる王道のやりかたがわたしには合っているみたい。
茹であがって茹で汁が少なくなってきたらすりこぎで潰し始めて、潰しながら水分を蒸発させ、ほくほくにしていく。
味付けは、塩、こしょう、オリーブオイル(わりとたっぷり)、レモン果汁、はちみつ少々、マヨも少なめ、乾燥バジルをこれでもかというほどいっぱい、乾燥ディルもお好みで。マヨを少なめにして、その代わりにオリーブオイル多めというのが大人の味のような気がしてます。
具は、きゅうりと人参、ハム、ベーコン。
サイコロ状の茹でたサツマイモを入れるとめっちゃ美味しい。卵を入れても美味しい。
茹でるときにコンソメを入れると極上の味で、メインディッシュにもなるくらい。
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お店の写真だけ撮りました。チョコレートやケーキを買う人で、とても混んでいました。
お茶はしたことありますが、ケーキが絶品だしお店の雰囲気もいいのでおすすめ。
時間的に他のお店を探している余裕もなく、藤沢に移動して、北海道キッチン Yoshimiで藤沢店限定の釜揚げしらすたっぷりローストビーフ丼を食べました。
で、デジャヴだなと思ったら、前に一度来たことがあって同じ席に座って同じものを食べてたことが、Googleフォトを検索して判明。笑いました。
また来年行ってしまわないように、バレンタインデーにはカナールではディナーが出来ないことを覚えておかなくちゃね。
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そういえば去年の今ごろにも偶然、スパイラルで 女子美の卒展に遭遇したのでした。
みんな自由で繊細で情熱的で、まぶしいしうらやましい。
スパイラルの展示って、気軽に入れて、手前にカフェ、奥に壁に沿ったアールの階段があったりして、空間的にもいい感じですよね。カフェを囲むような構造、展示物の向こうに食事をしながら談笑する人の姿が見えるとか、シュールで好き。
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南青山の路地裏にある、さらに「屋根裏」という意味の名前の老舗カフェ。
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山茱萸は矯められるので、手をかけて形づくりながら正しい位置に挿していく。
下の写真は左側から見たところ。
山茱萸の枝、写真左から、副枝、中間高、中間枝、主枝、中間枝。
蕾が多すぎるとうるさいので、適当に落とす。
アイリスは、高くいけるものは副枝と中間高のあいだに挿し、低くいけるものは、高いものと縦に並ばないように気を付けながら、前の花留めに挿す。葉はあとから足すのだけれど、細すぎると存在感がなくなるので、葉の下部分を切るのではなく、出来るだけ太い部分を使って、先を切り整えるようにするとよい。うしろのアイリスの葉は前後に、前のアイリスの葉は、左右にそえる感じにする。
玉しだ5本のうち、一本だけ少し短めにして、残りは同寸。主枝の1/2程度の長さに切りそろえる。
かたちの美しい一本を客枝の既定の場所に挿し、短い一本を客枝の左下に添えるように入れる。
あとの三本は株状になるように入れる。中心が空かないように、気を付けて。
お稽古が夜なので、家に帰ってからいけなおした作品を翌朝、自然光で見るのがとても好き。
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アカシアを主材に、ヒペリカムを客枝に、ガーベラを中間枝にいけました。アカシアは花芽をかなり落とします。特に下向きの花芽を中心に落としていく。ゆっくりと少しなら矯められるので、可能な限り、きれいに見えるように矯めます。ヒペリカムが中高っぽく見えるので、ガーベラは中低に。それぞれがくの字、ぎゃくくの字になっているのもポイント。
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町田の裏道の一角にある、中珈琲さん。
「中」と書いて「あたる」と読む。
旅行がテーマのようでした。いま流行りのスペシャルティコーヒーですね。
コーヒー豆の麻袋をディスプレイしたり、車窓をイメージしたジオラマを壁に作ったりして、楽しい演出をしていました。
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春の味覚です。
お料理はあまり上手じゃないけど、旬のものをありがたくいただければ、それでいいかな、と。
【鰆の紫蘇乗せ焼き】
鰆に塩してしばらく置いて、そのあと水で洗って塩を流しキッチンペーパーで水気を取って(もしかしたらここまでの手順抜いてもいいのかなって思ってるところ)お味噌をみりんで溶いたのに漬ける(これに山椒を入れて山椒味噌でも美味しい。今回は入れない)。
【ちらし寿司】
具は、酢だこ(パックの買いました)、錦糸卵、椎茸煮(干し椎茸を一晩かけてじっくりもどし、もどし汁にお醤油とお酒とみりんで濃いめの味に煮詰めて軸も含めてカット)、大葉。上に散らす用に、絹さや(塩をいれて沸騰させたお湯で色よく固めに茹でて菱形にカット)、いくらの醤油漬け(パックの買いました)、海苔。蓮根は売り切れていたので入れなかったけど、問題なし(あればもちろんベター)
酢飯は、お酢にお砂糖とお塩をよく混ぜ合せておく。お米3合に対してお酢75ml。2合に対しては50ml。炊けたごはんにお酢をかけて5秒待ってから混ぜる。さくさく。ぱらぱら。よく混ざったらひと肌程度まで団扇であおいで冷まして、具を混ぜる。トッピングを載せるのは食べる直前。それまで濡れ布巾をかけておきます。冷蔵庫には入れない。
課題および反省としては、やはりすし桶ほしいなー。置くところがないから迷っていつもボールで作っているんだけれど。それと、白ごまを混ぜたらよかったねって。
【潮汁】
夜になってからのスーパーでお買いものしたので、蓮根は売り切れだったけど、蛤は半額になっていてラッキー。定価だと1個400円もするの、高い〜。前日に3時間ほど砂を吐かせたんだけどあまり吐いてくれてなくて心配してたけど、食べてみたらぜんぜん大丈夫でした。もともとそんなに砂を食べて(?)なかったということか。
かぶ3個、にんじん適当、赤い大根適当。
ピクルス液は、お酢3/4カップ、白ワイン3/4カップ、水3/4カップ、ローリエ2枚、粒胡椒5〜6粒、ここまでを煮立てて、冷めてから、つぶつぶマスタード大匙1、はちみつ大匙1+1/2、塩小さじ1+1/3を混ぜる。具と混ぜて、重石をして2時間ほどしてから、煮沸消毒をした保存瓶に移し、冷蔵庫へ。とレシピにはありますが、時間がなかったので重石をして放置という手順はほぼ抜きましたけど、ギュっと上から体重をのせて揉むかんじの作業をしただけで、美味しくできました。何度かそのままいただいて、最後は刻んでタルタルソースに。
JUGEMテーマ:家庭
]]>JUGEMテーマ:読書
瑞々しく、シニカルで斬新で。とても50年も前に亡くなった作家とは思えない山川方夫。
わたし自身はそんなにたくさんは読んでいないんだけれど、あまりメジャーでないにしても34歳で交通事故で亡くなるまでにじつは4回も芥川賞候補になっていてマニアなファンも少なくないみたい。
作家として活躍していただけではなくて、雑誌『三田文学』の編集にも携わっていて、多くの文学者を輩出してる、目利きの編集者という顔も持っていて、今回の展示はとくにその部分にスポットをあてたもの。
山川方夫に見出された作家のひとりである坂上弘さんのお話しも聴講できて、鎌倉にある武満徹の家に一緒に遊びに行って踊ったこととか、山川方夫を慕ってお家へ日参していた坂上さんがいくとお母様が「お妾はんがきましたよ」ってお部屋に通してくれたこととかそんなことが聞けた。他人のために生きることが山川作品のスタンスって坂上さんはおっしゃっていたけれど、そうい印象をわたしは山川文学から受けたことはなく、意外だった。むしろ孤独とか人間のエゴとか邪心とか、そういう表に出せないような姿を表現しているところが特徴なんじゃないかって思ってた。
若いころに父親を亡くし一家の長として家族を支え、妹たちを嫁がせて自身は晩婚で、これから幸せになるというところで新婚9か月で他界。結婚してからの数少ない作品からは温かさが窺えると評されているから、もしもう少し長生きしていたら、違う作風に出会えていたのかもしれないけれど。
それにしても、坂上さんは訥々と静かにお話しなさりながらも人を惹きつける。わたしは聴いたことないけど企業セミナーみたいな大きな声でハキハキと元気に喋る講習会のようなものとは、たぶん真逆なんだろうな。
心通じ合えるとわかってる人と話すときは、大きな声や驚かせるような仕掛けなんて不要なんだわ。
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鱈は食べやすい大きさにカットして塩胡椒して片栗粉をまぶしてフライパンで両面焼く。火が通ったら一度取り出して、椎茸、にんじん、白菜をごま油と千切りにした生姜で炒める。そこに鱈を戻して出し汁、酒、みりん、醤油。煮立てて野菜に火が通ったら、水溶き片栗粉をいい感じのとろみが出るまで入れる。出来上がり!
サイドディッシュは、にんじんと胡瓜とツナ入りバジル風味ポテトサラダと、出し汁とお醤油をかけたほうれん草のお浸し桜えび乗せ、写真にないけど昆布の酢醤油煮。
お味噌汁の具は、ごぼう、ネギ、にんじん、かごめ昆布。
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十日町の街と文化と雪景色を観よう、という企画。出かける当日に東京でも雪が降って、とくに都下の我が家の方は大雪で、雪見の方は一瞬テンションが下がりかけましたが、行ってみて思うのは、雪見っていうのは雪だけを見るのではなくて、豪雪地帯ならではの文化や生活様式を味わうということであり、その土地の人たちが普段見ている同じ光景を見る、ということなんですね。だから、東京での大雪などとはまったくの別物。
松之山温泉に一泊します。越後湯沢からほくほく線で、まつだい駅まで行きました。ほくほく線は、ほとんどトンネルで、駅だけが外という感じで、途中の美佐島駅という駅なんて、珍しいトンネル内駅。地上の駅舎は、線路がないので、きっと建物だけなのね?不思議。山岳地帯なので鉄道を通すのは難しいらしく、出来たのは20年前だそうで、まだ新しいんですね。だから松之山は、ほくほく線が開通するまでは陸の孤島のようなところで、現在でも独特の文化が残っているのだそうです。
お宿は凌雲閣という古式ゆかしき木造3階建ての老舗旅館。純和風で、情緒たっぷり。踊り場に植物が大胆に飾ってあるぴかぴかにお手入れされた階段を歩くときに、昔のお祖母ちゃんのうちみたいにみしみしっと良い音がします。お部屋には、おこたとみかん。ポットに熱いお湯が用意してあったので、前日に三条の弥彦神社で買った兎のかたちの和三盆をおやつにして、お茶用の湯呑で新潟の雪室珈琲を(ドリップパックだけど)淹れて飲みました。
お食事は広間でいただきました。どのお料理も松之山周辺の新鮮なお材料を使って丁寧に時間をかけて作られているものばかりで、もちろん、どれも美味しくいただきました。お魚のお皿に乗っていた付け合せで、これ何、美味しいね!ってなったのは、あとでウワミズザクラの青い実「杏仁子」の塩漬けとわかりました。
さて、お風呂。ホウ酸含有量が日本一だそうで、最初ちょっと肌がピリピリっとして、口に入るとしょっぱくて、美肌の湯というよりも、硬派な薬泉といった感じです。お天気にも恵まれ、真東を向いたお部屋から見える景色は、夜は雪山から昇るお月様、朝は青い空と白い雪の明るくまぶしいコントラストでした。
朝ごはんも美味しくて、ガラス張りの温室のように明るく広い暖かいお部屋で雪を見ながらいただけます。大満足でしたけれど、悔やまれるのは、出がけにバタバタしちゃって売店にあった可愛い「野鳥こけし」を買えなかったこと。夢に見そう。
そして宿の周辺は歓楽要素ゼロ。そこがよい。
まつだいでは、移築した古民家を利用した郷土資料館へ。いろりのある土間からはじまって、70年前の農家の中をぐるっと一周。さまざまな生活用具や、2階には田中望さんのアート作品が展示してあります。作品は、広い畳の部屋の隅に置かれた織機から織り出されるように部屋中所狭しとこの地域の物語が描かれている巻絵が踊っています。同じく絵の描かれている灯りも作品になっていてきれい。兎を擬人化した巻物や灯篭の絵は、この地方の歴史や文化が描かれているのだそうです。訪れていたのはわたしたちともう一人の計三人。土地の方の案内で、いいお話が聞けるのに、もったいないな。都市部との行き来が始まったころ、方言を使っていると馴染めないので標準語を使いましょうというムーブメントがあったらしく、言葉の比較表みたいなものがあったんだけれど、そこに「いいことば」(標準語)「悪いことば」(方言)って書いてあったのは衝撃でした。大人が「きみたちのため」と、せっせと自ら大事なものを奪ってしまった。黒歴史みたいに思えるけれど、現在も同様なことが行われてはいまいかと胸に手をあてることを忘れずにいたい。窓からは、若い人たちが「農舞台」の屋根に乗って雪下ろししているのが見えました。案内してくださった町の方がおっしゃるには、町の若い人はみんな都会に出て行ってしまい、逆にああして雪下ろしをしているのは都会から来た人。給料は安いはずだけど、みんなとても楽しそうにやってますよって。近くの古民家をリノベして都会から越してきて住んでいる方も少なくないとか。都会と地方の人がそれぞれ自分の居場所を求めて彷徨っているのだな。自分がずっといた場所に馴染めないっていうのは、幸せなことではないよね。彷徨ってもいつかは根っこのあるところに戻れたらいいのに。帰り際に囲炉裏脇でうさぎの折り紙をおしえていただきました。
ほくほく線に戻って、十日町へゴー。まずは十日町市博物館へ。ここの目玉は、国宝にもなっている火焔型土器で、全体にも縄文時代に光を当てた展示になっています。火焔型土器は、4500年もの昔の人の手が作ったというのがほんとに感慨深くて模様ひとつひとつをこねた土で仕上げる指の所作まで想像してしまいます。道具であるのに機能だけではなく、こうしてデザインして美しさや楽しさを追求しているのが感動的。生きていくだけでたいへんだったんじゃないかって思ってたけど、意外と縄文人は生活を楽しんでいたのかもしれない。博物館的なところによくある等身大の人形を使ったジオラマで縄文時代の人々の暮らしを再現していたんだけど、からむし織の服を着た縄文人ファミリーは、おじいちゃんもおばあちゃんも、お父さんお母さんも、子どもたちも、みんなニコニコと楽しそうに笑っていたのでした。少なくとも現代よりも家族団欒の時間は豊富だったでしょう。働くのだって、家族全員です。出来る人が出来ることを。からむし織っていうのは、植物の繊維を使った織物で、縄文時代の衣服に主に使われていたということがわかっているそうです。機を織る技術もあったのか!って、驚きました。この地域、江戸後期からは、絹織物も盛んになるのですよね。買ったお土産は、からむし織のコースター。夏向きかな。
さて、午後。ゆく道々、玄関が高いところにある雪使仕様の木造のお家や、雪の合間に見えるストリートアートにテンションを上げつつ、まずは、manma & cafe でランチをいただき、越後妻有里山現代美術館(キナーレ)へ。
足で漕ぐ移動式おこたとか、結晶に触れるとキラリとはじける雪とか、あそべるアートでとりあえずグッとひきつけられて、それ以外にも若きクリエイターの作品をたくさん見ることができました。雪国ならではのものも、それ以外のものも。本棚のある明るくて広いカフェと、併設の売店も素敵。売店では、marimekkoのウニッコ的な柄の中にキョロちゃんが隠れてるみたいな柄の風呂敷を購入。松之山のキョロロにかけてるんですね。こういう美術館が東京にあったらきっと混んでるんだろうなって思うけど、ここは日曜日だというのに静か。もっと若い人が集う場になったらいいのに。もっともっと盛り上がって欲しい。
とてもお天気が良かったのに、越後湯沢に着いたら、雪。お土産屋さんが併設されている温泉珈琲水屋さんというカフェで時間調整をして新幹線で帰ってきました。ありがとうございました。
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東京都写真美術館でやっているユージン・スミス展に行ってきました。
アメリカ、ヨーロッパ、太平洋戦争中の東南アジア、そして、日本で多くの写真を撮ったドキュメンタリー写真家です。
晩年は、水俣で多くの写真を撮り、水俣病の実態を世界に発信しています。
写真展の構成
1. 初期作品
2. 太平洋戦争
3. カントリー・ドクター
4. イギリス
5. スペインの村
6. 助産師モード
7. 化学の君臨
8. 季節農場労働
9. 慈悲の人
10. ピッツバーグ
11. ロフトの暮らし
12. 日立
13. 水俣
思ったよりも水俣の写真が少なかった気がしたけれど、妻であり『MINAMATA』の共著者であるアイリーンさんがこの写真展にきちんと携わっていたことを後で知りました。それならなにか考えがあってのことなのでしょう。
「入浴する智子と母」という有名な写真が展示されていなかったのも、智子さんのお母様が、かつて露出を断ったことに端を発っしていたそうです。被写体のそのような気持ちを汲むことも、真実を伝えることと同じく大切で尊重されるべきことだと思います。
ただ、ほとんど風化してしまったといっていい水俣の問題は、福島原発問題と酷似しています。いまいちど光をあて、再考する意義は小さくないと思う。わたしたちの国がまた同様の過ちを繰り返さないためにも。
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12月は仕事が繁忙期に入るので一昨年くらいからお稽古をお休みしていますが、お花を触っていないとさすがに手が寂しくなります。仕事も落ち着いてきてお正月準備のためにお花を買い、こうして飾ると、やっとホッとして「ああ、うちにもお正月が来る」と実感するのです。
なお、母のいけた実家のお花はこちら。
張り子の犬が可愛い。
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鱈は冬のお魚だったーと気づいたのは、買ってから。
できたら旬のものを美味しくいただくというスタンスでいたかったのですが、お値段に釣られてしまった。
というわけで、お酢を使って冷やすお料理なら、少しは夏っぽいかなという魂胆で作ったお料理。
しかし、ネットで「甘酢あんかけ」とか「南蛮漬け」とか検索してレシピを見ると、作り方はほんとにバラエティに富んでいてみなさまいろいろ。
つまり、自分の好みで「何でもあり」だってことね。
わたしも自分の舌と勘を信じて自己流に作ろう。
で、すっごく美味しく出来たんですけど、分量とかあまりにも適当なので、同じ味を再現するのは無理。
せめて、手順と材料だけ書き留めておこうと思います。
鱈を一口大に切って、塩コショウして片栗粉をまぶし、フライパンで焼いて、器に盛っておく。
人参、ピーマン、たまねぎ、しめじをごま油と塩コショウで炒めて、しんなりしたらタレ(※)を入れて、煮立ってきたら水溶き片栗粉を入れておしまい。
で、※のタレなんですが、お水に鶏がらスープを溶いて、ポン酢を入れて、お砂糖、ナンプラー、バルサミコ酢、オイスターソース、ふつうのお酢も。ぺろぺろ舐めてみながら「ん、美味しい!」というまでいろいろ足しながら作りました。
複雑ないい味になって、お料理の上手い人になったみたい。
午前中に作って、冷蔵庫で7〜8時間寝かせたのもよかったのかも。
最大の反省は、フライパンのテフロン加工がダメになってるのに使い続けているために、鱈を焼いたときにくっついちゃって上手く焼けなかったことです。
フライパン、新調しなくては。
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さいきん辛いのやエスニック系のスパイスが大丈夫になってきたので、小麦粉使ったり市販のルゥを使ったりせずにカレーを作ってみようと思い立ちました。
鶏腿肉を一口大に切ってフォークで穴を空け、塩コショウしておきます。
玉ねぎのみじん切りとニンニク、生姜、クミン、ガラムマサラ、カルダモン、パプリカ、カレー粉を油で炒めます。
ペースト状になるまで焦がさないようにのんびりと。
そこに鶏肉を投入してしまったんですけど、別にフライパンでちゃんと焼いてから入れればよかったと思います。次はそうします。
鶏肉と人参とジャガイモ(入れるのかw)を入れて、混ぜ混ぜしたら、ワインを入れて、アルコールを飛ばしてからトマトの水煮缶を投入。
コンソメとローリエを投入。
焦がさないようにときどきかきまぜますが、ジャガイモを入れてしまったおかげで火が通るのに時間がかかりました。
でも次も懲りずに入れたいと思います。
最後にお味見をして足りないなと思うものをプラス。塩とか、胡椒とか。
もう少しスパイスも辛みも強くてもよかったけど、とても美味しかった!
またすぐ近いうちに作ろう。
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あっという間に作れます。
が、わたしてきにコツをいいますと、キャベツがしなしなになりすぎないようにするっていうことかな。
キャベツもアルデンテ的な。
あと、むずかしいのはアンチョビの量ですね。
瓶詰のアンチョビを4〜5切れ入れました。
後悔は、桜エビがあったので入れればよかったなーってことと、レモンもあったから少し絞ってもよかったかなーとか、パルメザンを食卓に出せばよかったなーとかなどなど。
写真ではわかりにくいですけれど、濃いグリーンは、ベランダで摘んだイタリアンパセリです。
ちょっと苦味が出て美味しいです。
20170712追記
アレンジ。しめじと桜エビとコリアンダーシードの砕いたのを入れて、さいごにレモンを絞りました!
夏には爽やかでいいと思います。
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写真はありませんけど、麻婆豆腐を「ちゃんと」作りました。
いつもはわりと適当に作っていましたので。
お豆腐400g(大きめの1丁、またはちいさめのを2丁)を切ってお塩を入れたお湯に入れて沸騰させないで「お豆腐を温めておく」感じで置いておく。
豆板醤大匙1、甜麺醤大匙1、豆鼓醤小匙1、粉とうがらし(わたしは省略して、代わりに鷹の爪少々)にんにくみじんぎり小匙1を混ぜておく(★)。
フライパンに油を引いて豚挽き肉200gをほぐすようにしっかり炒める。
火が通ったら、★を入れて、焦がさないように中火でじっくり炒める。
そこに鶏がらスープ(150cc)を投入。
沸騰したら、みじん切りしたねぎ1/3と、1cmに切ったニンニクの芽を入れて、温めておいたお豆腐のお湯を切って加える。
酒大匙1、醤油大匙1、塩胡椒少々を入れる。
水溶き片栗粉(大匙3くらい用意しておく。水と同量の片栗粉を溶いておく)を少しずつ入れて混ぜてとろみを決める。
決まったら強火にして水溶き片栗粉にしっかりと火を入れる。
サラダ油をさっとかけて混ぜる。
火を止めて山椒をふりかけて、出来上がり。
わたしにはちょっと辛すぎレシピなので、豆板醤をちょっと少なめにして、鷹の爪とか唐辛子パウダーは省略しようかな。
ニンニクの芽は、勝手に入れました。この歯応えがとてもよろしい。
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葉山のアップーガルというインド料理のお店に連れて行ってもらったので、その味を忘れないうちにと思って作りました。
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挿すときは、左から順に。
主材は、主枝が器の1倍、副枝が、主枝の2/3。
主枝は、花器「まどか」の左奥の足の真上に挿す。
少し左外に振って、前傾15度。
副枝は、縦軸が左手前の足から1/5上がったところ。そこから左に少しスライドさせて挿す。左に30度振って前傾45度。
そして、主枝の前に中低の中間枝を挿す。
カーネーションは大きければ3輪だけど、今回はスプレータイプの小さな花なので5輪使った。
長さの決まりはないけど、まずは核になる3輪を入れて、そこに2輪足すという気持ちで。
縦横高さ、すべてが並ばないようにすること。
大きくみたときに花材が3種類混ざらないように(挿し位置ベースで)。
お隣とはちらちら混ざるけど、隣の隣の花材とは混ざらない。
客枝は鳴子百合で、主枝の1/2。45度開いて、60度傾斜。
手前に客枝の1/2、少し左奥に客枝の2/3の枝を挿す。これは決まり。
今回は5本使うので、そこに2本足す、というイメージ。
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]]>3月中旬から銀座のシャネル・ネクサス・ホールで開催されていたロバート・メイプルソープ展に行ってきました。
モノクロの花の写真から知ったメイプルソープですが、花だけではなくて、彼の被写体は人間にも及びます。
それも、男女問わずにヌードが多いのですが、少し特徴的だったり、挑発的なボンテージだったり、グロテスクだったり、衰え始めていたり、どこか引っかかる、どれも美しいんだけれどいわゆるスタンダードではない感じのヌードもしくは身体の部分の写真が続きます。
ヌードを見たあとに花の写真を見ると、花もまたエロティック。
花やくだものにナイフという組み合わせの写真もあり、これが何を象徴しているのか。
一緒に行った友だちが、「花や果実は女性器で、ナイフは男性器」と言っていてなるほどでした。
そして、どこまでが芸術で、どこからがポルノか、その境界線はどこか、という考察も。
展示会タイトルの『メメント・モリ』というのはラテン語で直訳すると「死のことを想え」という意味だそうで、「どうせみんな死ぬんだよ」そして「今を楽しく生きようね」という扱われ方もしているとのこと。
性と死がテーマだったんですね。っておしえてもらいました。
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花材として玉しだが5枚または7枚の時は、玉しだを客枝とするのが、小原流のお約束。
ちなみに、マーガレットも同様。
玉しだのうちの1枚を既定の長さで既定の角度にして挿し、それを起点として残り4枚を入れる。
残り4枚の長さは、起点になる1枚と同寸だけど、「受け」になる下の1枚は、少し短め。
この日お休みした方のお花を少し分けていただいて、今日の花材の残りとうちにあったその他のお花を混ぜて、家の窓辺に春のブーケを飾りました。
ラナンキュラス、啓翁桜、トルコ桔梗、スイートピー、雪柳。
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ここしばらく盛花傾斜型をアップし続けてきたので、挿し位置などは省略。
先生には「いい副枝が入ったじゃないの」と、副枝の枝どりを褒めていただきました。
ドラセナは1本。
自分のお気に入りは、高く入れたアネモネの狙ったポーズかな。
万作は、清潔感のある、少し甘い、とてもいい香りがします。
万作のアロマオイルとかないのかなって調べてみたんだけれど、オイル抽出ができないのでピュアなものは作ることができないそうです。
これで研究会にのぞんだわけですけど、久しぶりにいいお点をいただけました。
ただ、ほかの95の方は、ほとんどドラセナを2本入れてらっしゃいました。
2本使う場合は、手前に長く、後ろに短く、左右の位置も並ばないようにされているのがいちばんきれいでした。
個人的には、ドラセナは放射を1か所で見せるのが好きですけれど、参考に記しておきます。
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盛花傾斜型が3回続きます。
どんな枝でもそうですが、金葉こでまりは特に乾燥していると折れやすいので、矯めるときには水で湿らせてから手のひらで包むようにして「どうか折れないで」と念じながら矯めます。
ドラセナは葉を3枚にしてゆるくワイヤーで根元を束ね、葉2枚をあとから挿し、合計5枚。
水仙は、日本水仙のときのように袴とか葉組みとか気にしなくてよいのですが、葉3枚が茎を囲むかたちにならないように。
下に受けの2枚、上に1枚、が無難できれい。
来週も盛花傾斜型の予定。研究会花です。
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先週と同様、盛花傾斜型をいけました。
壇香梅の枝はあまり矯められないけれど、ゆっくり、切れ込みを入れながらめりめりと。
菜の花が入ると、がぜん春っぽくなります。
青麦も、春の風にそよいでいて、先週の作品よりも、気温5度くらい上がっている感じですね。
葉が少ない部分には、青麦の葉、菜の花の葉を不自然じゃないように、あとから足します。
中間高の右がわに副枝の根元が見えないように。写真、ちょっと見えてる気がするけど、たぶん気のせい。
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盛花傾斜型をいけるのは久しぶりで、ちょっと忘れかけていました。
先生に「挿し位置を正確にね」と念を押されました。
中間高は、主副客枝を結ぶ三角形の内側に入るように。かならず。そして座りよく、真横ではなくて右斜め後ろを向くように挿して、いちど左に膨らませて先端は挿し位置の経度に戻る。
花材は、すべてちゃんとS字に矯めること。
中間高の前に入れる最後の一枝は、他の花材との位置関係で決めるのがよいので、ほんとに最後に入れるのが吉。
客枝は、作品を締りのあるものにするため、右に広がりすぎたり長すぎたりしない。
主材に使った花材は、「せんりゅう」ではなくて、「かわやなぎ」です。
固い殻がついている芽がほとんどですが、ところどころ殻が外れて、ツヤツヤ銀色の春の芽。
この花材の組み合わせを見たときに、早春のまだ寒い空気を纏う作品にしたいと思って、狙って「寒そうに」いけてみましたけど、どうかしら。
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研究会花でした。
名前のごとく天に向かって昇っていくような雲竜柳は雰囲気がつくりやすいですが、枝取りがむつかしい。
どの枝の、どの部分を主枝に据えるか、その主枝とのバランスを見ながら、客枝(的な枝)、副枝(的な枝)を決めていきます。
最初の枝取りと、しっかりとした骨格づくりに時間をかけると、あとが楽です。
とはいえ、今回いちばん苦労したのは、まさかのミモザアカシア。
研究会はかろうじて及第点でしたけど、やはりそのミモザアカシアがいけなかった気がしてます。
寸評がなかったので、じっさいのところはわかりませんが、一番高くしたミモザアカシアの枝がちょっと無愛想で唐突だったと反省しています。もう少しやさしくカーブがつくように、バラ側にちょっと矯めればよかった。
気を取り直して、来月はがんばります。
と、毎月言っている気がしますが。
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年末は仕事が忙しく、12月に一度も行かれないのが2年連続だったため、やむなく今年は最初から決めて、12月は休みを取った。
なので、ほぼ1か月ぶりのお稽古。
まだまだ寒いのに、ストックがいい香りで、ああもうすぐ春がやってくる、とおもわず幸せに浸ってしまう。
お花は偉大だ。
フェイジョアってはじめていけるかもしれません。
先生は「矯められない」と仰ったけれど、「折れないでお願い」と念じながら手のひらで枝をあたためつつ、ほんの少しならなんとか矯められました。
この時期の常緑樹って、あけっぴろげであまり風情はないけれど、生命力を感じる。
それを表現したいのもあって、瓶の口元には、できるだけ新芽が青々としている部分を使ってみた。
フェイジョアは手前の口元と左うしろに入れた枝も含めて、すべてが主枝のつきえだのようにあしらう。
ストックの花は、口元のは気持ち短めでたっぷり寝かす。わたしは長くしてしまう傾向があるので注意。
高く使う方のストックは、奥から入れる。これも注意。
ソリダスターは中高にして、前後を低く。
ソリダスターの葉は、フェイジョアのグリーンとかぶるので90%くらいは落とした。
フェイジョアの葉もだいぶ間引いて出来上がり!
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]]>当時、弓成は記事の中で返還される基地の少なさを批判したが、今にして思えば紙の上の憤りでしかなかった。沖縄に住んでこそ実感できたこの不条理を、もっと国民全体が知らねばならない。その伝え役の一人にならねばと、強く自覚した。p96
〈book1前半〉
ちいさな不整合にちょっとがっかりびっくりしたオープニングでした。
ひとつめ。赤坂のホテルのバーで青豆が知り合った関西の男のスーツの色が「ブルーグレー」と描写されていたのにその数ページあとで「紺色」になっている。
自分の書いた原稿を何度も読み返し推敲するということを、いつか何処かで語っていた村上春樹がこんなミスをするかしら。
それから、青豆が渋谷のホテルの客室で「仕事」のあとにせっかく注意深く指紋をふき取ったのに、その直後にルームサービスの食器やワゴンに触れて片付ける描写がある。緊張感とともに青豆のクールさを感じさせるこの場面で、なぜまたそこで指紋を残すような行動を青豆に取らせてしまったんだろう。
ちいさなことだけど、こういうことで物語全体に曇りが出てきてしまうのはすごく残念。
それと、これを言ってしまうと、もうこの物語自体が成立しなくなるんだけれど、小説を最初から天吾とふかえりの合作というかたちで発表するということは不可能なことなんだろうか?無理にふかえりの作品にして天吾の存在を消す必要がわたしにはよくわからない。物語の大前提になるべきこの出来事に疑問が生じたために、「まあ深く考えるのはやめてつぎ行こう」という、少し冷めたスタンスにならざるを得なかった。
不満のさいご。ふかえりがディスレクシアだということが、戎野先生が彼女を学校に行かせなかった理由になっていること。
それは学校に行かせないことの理由にはならないと思う。
〈book1後半〉
この本を読んでいちばん自分にとって収穫だったのは、ギリヤーク人の存在を知ったことかもしれない。
サハリンの先住民で、ニヴフとも呼ばれている人たち。
1Q84とは関係なく、タイミングよく奈良美智さんがサハリンの旅にでかけて、そのときに出会ったニヴフの方のことをtwitterでアップなさっていて、それをきっかけにより深く知ることができた。
日本の歴史とも無関係ではなく、北海道にはアイヌだけではなくニヴフもいまでも住んでいるということなど。
奈良さんのつぶやきをまとめてくださった方がいらして、ほんとうに感謝です。
http://togetter.com/li/713972?page=1
〈book2前半〉
暴力に対して暴力で応酬するということを描いているわけだけれど、たぶん村上春樹はそれを肯定しているわけではないと思う。と信じたい。でも、そのことを裏打ちしてくれる要素がみつからない。私がみつけられないだけなのか。麻布のマダムと、青豆のやっていることは、根本的に間違っている。それが、私がこの『1Q84』という物語を面白がりながらもいまひとつ星5つに出来ないいちばんの理由なんだけれど、どこかでこのもやもやは回収されるのか。
〈book2後半〉
ちいさいことなんだけれど、ふかえりが天吾の部屋でローリングストーンズのレコードをかけていて、天吾は青豆をどうやって探したらいいのかじっくり考えたいっていうところ。
そのとき天吾がふかえりに対して、音楽を静かな曲に変えよう、というのではなくて自分が外に出るっていうところが、なんという優しさなのかと感心してしまった。だって、そこ、天吾の部屋ですよ。
天吾のようなこういう優しさってどうなんだろう。私だったら「もう少し静かな曲かけない?」って言ってもらって一緒に同じ部屋にいるほうがいいな。
などとつらつら考えていたんだけれど、もいちどよくよく考えてみたら、ふかえりはただの同居人であって、恋人でも奥さんでもないし、ここで天吾が外に出たからこそ、十歳のときの教室の出来事を反芻し月を見ていたことを思い出し、公園に月を見に行って青豆に一歩近づけたんだ、と気づいた私。
もしかしたら、すべてがふかえりのお膳立てだったのかもしれない。
ふかえりは天吾と青豆を結びつける役割としてここにいるんだと考えると、いろいろ合点がいく。
〈book3前半〉
『1Q84』は、バッハの平均律フーガと同じ構成なのだそうだ。そういわれてみるとよくわかる。
パッセージの追いかけっこ、二声から三声へ。
このbook3から「牛河の章」が登場して、ますます厚みが加わる。
牛河ってすごく気持ちの悪い人っていう印象で読み進んでいたんだけれど、読み進んでいくうちにだんだんシンパシーを感じ始める。
なんという孤独の人。
「命以外にはもう失うものは何もない」というほどに。
〈book3後半〉
天吾と青豆を結びつかせるために牛河が死ななければならないという事実を、やはり私は受け止めることができない。
全体を通して、たしかに面白いし、ぐいぐい引き込まれて読んでしまうんだけれど、これを認めてしまっていいのか。
天吾と青豆の再会が世界を救うくらいの意味がないと、物語としてはかなり貧相ではないですか?
牛河を殺害することの正当性は、最後まで読んでも見当たらないし、青豆がそれまでに犯してきた殺人はどうやっても正当化できないんですけども。
孤独はごく普通の人をも暗殺者に変えてしまう、というのがテーマなんですか?
とはいえ、天吾と青豆が1Q84の、月が二つ見える世界から抜け出してきたあとに見た月の描写が美しかったので引用しておきます。
「月はひとつしかない。いつも見慣れたあの黄色い孤高な月だ。ススキの野原の上に木して浮かび、穏やかな湖面に白い丸皿となって漂い、寝静まった家屋の屋根を密やかに照らすあの月だ。満ち潮をひたむきに砂浜に寄せ、獣たちの毛を柔らかく光らせ、夜の旅人を包み護るあの月だ。ときには鋭利な三日月となって魂の皮膚を削ぎ、新月となってくらい孤絶のしずくを地表に音もなく滴らせる、あのいつもの月だ」(p.381)
謎はいろいろ残るけれど、どうやらBOOK4はあり得るようです。
というか、未決事項が多すぎます。BOOK4が出ないということがあり得ない、と私は思う。
そして、4が出たときには3までの物語を忘れてしまっていそうな気がするので、4に繋がりそうな(もしかしたら繋がらないかもしれないけれど)ことがらをアトランダムに書き出しておきます。
★冒頭で、タクシーの中で流れる曲がヤナーチェクのシンフォニエッタだということが青豆にはなぜ解ったのか。
★天吾のガールフレンド安田恭子は、なぜ「失われた」のか。「失われた」とはどういう意味なのか。父親が残した写真にうつる天吾の母は安田恭子によく似ていたのは、何か意味があるのか。
★安達クミは天吾の母親の転生なのか。母親を(たぶん)殺して行方不明のままの男は誰なのか。どこで何をしているのか。
★教団の坊主頭はなぜ「われわれ」と言わずに「彼ら」というのか。「彼ら」とは誰なのか。リトルピープル?
★『空気さなぎ』のふかえりは、もしかしたらドウタなのか。
★牛河の口から出てきたリトルピープルが作った空気さなぎからは、何が生まれるのか。
★ふかえりが天吾のアパートの前で見上げて見つめていたのは何なのか。(わたしは、カラスと関係があるような気がしてる)
★2人がやってきた世界は、元の1984年なのか、それとも第3の世界なのか?
★『空気さなぎ』が書かれて出版されたことは、さきがけにとってどのような不都合があるのか?
★1Q84年から逃れることができても、青豆が暗殺者だったということは打ち消すことができない。1984年に存在していたときにすでに人を殺していたのだから。復讐としての殺人を村上春樹が肯定するはずがないから、青豆の罪をどのように回収するのかということは、語られなくてはならないと思う。
★タマルは、いちど女を妊娠させたことがある。産まれた子供は17歳になっているはず。ふかえりと同い年なんだけれど、何かそこに意味はあるのか。ないのか。
★天吾の書いている小説は出版されるのか。もし出版されたら、さきがけや他の人々に、そして世界の流れにどのような影響を与えるのか。
★父親が死んだとき、病室のベルを押したのは父親自身だったのか?
★教団は青豆とお腹の子供を追い続けている。青豆は逃げ続け、隠れ続けられるのか?
★もしお腹の中の子が後継者だとしたら、なぜリーダーは自分を後継する<声を聴くもの>を青豆の中にセットしたのか。なぜ青豆でなくてはならなかったのか。そしてその相手は天吾でなくてはならなかったのか。
★もし首都高から246に下りたタイミングで青豆が1Q84の世界に行ったのであれば、マダムもタマルも元の世界にもいるはず。再会はあるのか。
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